仏壇終いの帰省から戻りました。
仏壇終い=お性抜き(お性根抜き?)と呼ぶらしい。
こんなことは一生に一度あるかないかで段取りなど知る訳もなく、疑問点でいっぱいだったが無事終了。
仏壇は一応お掃除して、引き出しの中にあった祖母の私物は処分しておいたものの、お寺からの印刷物などよくわからないものはそのまま引き出しに。
お花を供えて、蝋燭、お線香の準備をして当日を迎える。
空き家でガスも止まっているが電気ポットでお湯は沸かせるからお茶とお茶菓子の準備はする。
お茶菓子は敢えて近所の和菓子屋さんのものを購入する。銘菓ではないけれど法事のときはだいたいここのだったので。
仏間の掃除をして座布団を出す。なんだかんだで8人集まったので茶碗含めいろいろ数も多くなる。
暖房は電気ストーブ1台と電気カーペットのみ。
大雪予報でとても寒いので叔母と従姉妹に頼んでそれぞれ追加で電気ストーブを持ってきてもらったが、3台目の電気ストーブのスイッチを入れた瞬間にブレーカーが落ちて停電に。
ブレーカーを上げても電気が復活せず、めちゃくちゃ焦った。暖房なし、照明なしの仏壇終いになってしまうかと。
夫が四苦八苦してなんとか電気復活。
30Aだと電気ストーブ2台、ホットカーペット、湯沸かしポット、温便座が限界だなんて知らなかった。
時間になり、お坊さんが来てお性抜きのお経をあげてくれる。
お線香はお坊さんがあげるのみでわたしたちのお焼香はない。
そのあとお寺で処分してもらうものの取り外し。
これを自分たちで行うのかどうかがわからなかったが、お坊さんがやってくれた。
ご本尊(が描かれた掛け軸)を外し、両脇の文字のかかれた掛け軸を外す。この3つはセットのようだ。
その裏にはそれを用意した?ご先祖さまの名が書かれていた。俗名ではなく法名だったような。。
でもその名前は過去帳にはない人だった。
他にも法名の掛け軸、2本を外していただく。こちらは曽祖父母とそのさらに上の代の高祖父母の法名が書かれていた。
そして祖父の位牌がなぜか二つ。
浄土真宗では位牌はつくらないのだが、お坊さんによるとそうは言っても何かあった方がいいと作る人は多いのだそうだ。
位牌のひとつは法名の書かれた板が入れ替えできるようになっていて、法事の度に名前を換えて使えるものだったが祖父の法名のみでその後は使われていなかった。(というかそのシステム知らなかった)
で、これらの持ち帰りはお坊さんが風呂敷でも持って来られているのかなと思いきや、こちらで用意するようだった。
なにしろ空き家なので紙袋などもなかったから、神奈川の自宅から紙袋も一応用意していたが持ってきていて良かった。
以上がお寺に予め連絡しておいた処分して欲しいものだったが、お坊さんは仏壇の引き出しも開けて、他にわたしたちが処分に困るようなものを探して下さった。
特別なお寺の行事に参加したときに頂いたお札のようなものや、偉いお坊さん?の写真のようなものなど紙に包まれたものがいくつか。それらも処分してくださることに。
その中に戦時中に戦地に行くことを勧めるような書文もあって驚く。
お坊さんによると召集令状が来た人に向けてお寺が発行した書文のようだった。
このことについては間違っていたと真宗大谷派は謝罪しているとのことだった。
そういう時代だったとはいえ、世の中全てが間違った方向を向いていたことを改めて知る。
宗教の戦争責任については検索してみるといくつかヒットした。
この謝罪にしてもつい最近(30〜40年前)のことで、実際、戦争に反対していた僧侶は追放され、名誉回復したのもこの謝罪のタイミングだったというから、なんだかなぁという気持ち。
二度とこのような過ちはしてほしくないけれど、最近、あまりにも皆が同じ方向を向くことが多い気がして(コロナのことにしても)やや不安がある。
お坊さんが帰って、仏壇の中を覗くと中はガランとしていて、確かにタンスと同じただの家具になった気がした。
引き出しの奥の方にはまだ意味不明のものが少し残ってはいるのだが、まあ、このまま処分しても良いだろう。
こんな感じで終わってスッキリした気持ちにはなった。
前日、前々日は色々考えてしまうからなのかぐっすり眠れなかったがようやく昨夜はぐっすり。
仏壇終いに関しては難しいことはなく、意外と簡単なので悩んでいるならばまずは菩提寺に相談することを勧めます。
菩提寺がなければ、処分してくれる業者(僧侶も派遣してくれる)もいろいろあるので検索してみてください。
また新しくコンパクトな仏壇を購入する予定であれば古い方の処分を請け負ってくれる場合もあります。
今回の帰省についてはもう少し書きます。