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ほくほく線にのって…

離れて暮らす父が2005年9月に事故で脳挫傷、頭蓋骨陥没骨折で入院。
5ヶ月経ってようやく退院しました。
ほくほく線で父の見舞いに行った日々のこと忘れないように書き留めました。(2014年12月父他界)
両親と祖母の老老介護、遠距離介護についての想いを綴ります。(2011年12月祖母他界)
2016年2月、母を呼び寄せ、遠距離介護は近距離介護に。
(2022年2月母他界)
両親の夢

先日、両親が亡くなって以来初めて二人の出てくる夢を見た。

1週間くらい経ってしまったから朧げではあるけれど。

この前の日曜がマラソン大会だった。

名古屋ウィメンズマラソンに出場した。

意識していなかったつもりがやっぱり相当緊張していたというかナーバスになっていたのだろう。

GPSウォッチの充電がされていない!とか、スタート地点に間に合わない!とかいう忘れ物&間に合わない系の夢を何度か見ていた。

二度寝してもまた、そんな夢を見てしまう小心者で情けないのだが、その間に合わない夢シリーズの中で、父の運転する車でマラソンスタート会場まで送ってもらっていたわたし。

助手席にな母。わたしは後部座席で前のめりになっていた。

スタートに間に合うだろうか?と一抹の不安になりながら。

でも、多分大丈夫だとも思っていた。(内心、これは夢だと感じていたから)

そして二人に「応援来てくれるよね?」ときいたら、両親とも無言・・・。

無言だった。。。(泣)

 

そのうち道が狭くなって、車から降りて迷路のような道を歩き始めるわたし。

夢とはわかっていたけど。

 

どうせみるなら沿道から両親が旗でも振って応援してくれるやつが良かったな。

名古屋ウィメンズマラソンは完走賞はティファニーのペンダントで、フィニッシュ地点でタキシードに身を包んだ男性(タキシード隊)が渡してくれる趣向。

そのペンダントは帰ってきてから仏前に供えた。

お土産のういろうも。

レースはトラブルなく目標のタイムをクリアした会心の走り。

父も母もきっと応援してくれてたよね?ね?

次回はもっとましな夢をお願いします。

 

Posted by roku
つぶやき・その他 / 12:53 / comments(0) /
母の命日

昨日は母の命日。

妹からお供えのお菓子が届く。

わたしはお花を用意してお線香あげる。

正しいかどうかはわからないがこの日だけ赤いろうそくを。(浄土真宗大谷派では法事は赤いろうそくを使う)

いろいろ思い出すことはいっぱいあるけど、妹とトラブルなく仲良くできていることが一番かなぁ。

 

実家の相続の時に名義をどちらか一方にしなくてはいけないのだと思っていた。

誰も住まないので売却することは決めていたけれど、名義をどちらかにして、そのどちらかが色々手続きが面倒なのかなぁとぼんやり考えていた。なのでわたしも妹も名義人になりたくはない感じだった。

しかし、相続の手続きをお願いしていた事務所の方が土地も建物もきっちり1/2で二人とも名義人にできると教えてくれた。

それでそのようにしてもらい、売却したあときっちり1/2で分けることができた。

さらに実家の売却に関することもその事務所にお願いすることにして売却のときに発生する諸費用や手数料などは全て含めて、それを売却した金額から差し引いて残った金額をわたしと妹それぞれの口座にきっちり半分にして入金してもらう方法でお願いした。

https://www.meigihenkou-souzoku.jp/zirei40

上のリンクのように『平等に姉妹で相続した不動産を分割した例』があると知り、その方法をとった。

不動産屋10軒以上に見積もりを貰い(実際には20社以上に打診したそう)その中から一番条件の良いところを選び、事務所の方に石川まで一度足を運んでもらい(交通費は実費)手続きを進めたので、姉妹のどちらかが石川を往復したりすることもなかったので実に平等だった。

お金を立て替えたりも必要なくかかった経費は売却利益から差し引く。

もちろん、これを自分たちでやれば経費は抑えられるし、もしかしたらもっと高く売却できたのかもしれない。

だけど、お屋敷でもないし、それほど価値のある土地建物でもなく、実家の売却金をあてにしていたわけでもない。

この方法で不公平なく、簡単に、わずわらしいこともなく、1円単位まできっちり半分になったので満足している。

相続に関して姉妹でトラブルは一切なかったので、実家は安く売られたかもしれないけれど両親も許してくれるだろう。

少しでも実家を高く売却したいというときはおすすめではないけれど、もめない相続としてはこの方法はおすすめだと思います。

 

 

 

Posted by roku
手続き/申告 / 14:21 / comments(0) /
十三回忌と三回忌

祖母の十三回忌と母の三回忌を菩提寺にて済ませてきた。

本当は雪が降る前の11月にするつもりが皆の都合をやりくりすると最短でこの2月の連休ということになり、祖母の命日は過ぎてしまうけど母の命日には間に合うので日にちを決定したのだが、よくよく考えれば雪の心配のある時期で帰省するわたしたちも大変だし、参列してくれる叔母夫婦、従姉妹も大雪ならば出かけられない可能性もあるわけで・・・。

実際、直前まで車で行くか新幹線で行くか決められず、車で行くことに決めたものの、向かう当日の朝は高速道路にタイヤ規制が出た。通過する昼頃には解除になり事なきを得たが、帰りもやはり朝のうちは規制、通過する時間帯には解除と綱渡りのような感じ。

父も祖母も12月に亡くなっているし、母は2月。そうなると法事はいつも冬になってしまう。

仏壇終いをした2022年の12月の帰りが大雪で大変だったのに懲りたはずだったのに、2月に予定したことをつくづく反省。

もう二度と12月〜2月には帰省はしないと固く心に誓うのであった。

それにしても法事って何回忌までするものなんだろう?

お寺さんは「できる範囲で」とおっしゃっていたが、今後はやらなくていいのかな?

祖父と曽祖母は五十回忌までやった。

検索すると三十三回忌で終わりとある。

祖母の三十三回忌は20年後になるがその頃、叔母はもういないかもしれないし、わたしだってその頃に帰省して法事をやるのは無理。七十代後半だもの。

となると祖母の三十三回忌はなしである。

次は父の十三回忌と母の七回忌を一緒にやる?

そして墓じまいということになるのかな?

そのことについてはおいおい考えてゆかねば。

ともかく一旦は肩の荷を下ろそう。

なんか満足に眠れない日々でした。ほんとにわたしはこういうものの仕切りは向いていないな。

 

帰省ついでに実家を見に行ってみたが、売物件の看板が掲げられたまま建物はそのままあった。

外壁も少し剥がれてきていて、ややみすぼらしくなっており。

元旦の地震の被害はみられなかったが早く買い手がみつかって更地にしてもらいたい気持ちです。

 

Posted by roku
つぶやき・その他 / 13:15 / comments(0) /
未支給年金の手続き

ずっと書こう書こうと思いつつ、そのままになっていた母の年金の手続きのことを書きます。

時間が経ちすぎてしまって忘れてしまった部分もあるので、覚えていることだけになりますが。

 

亡くなったあとの役場での手続きのときに言われるがまま、窓口をまわりました。

もちろん年金窓口にも。

そこで国民年金休止の手続きをしたら情報が他の年金(母の場合は共済年金と遺族年金)にも行くので特に手続きは必要ないと言われました。それでそのままにしておいたのだけど、それぞれの年金課に個別に連絡して手続きをしなくてはいけなかった。

年金の給付が止まるはずが一部は手続きが間に合わず、あとで返済することになってしまった。

この一部返済分のことより、未払いの年金を受け取るための手続きがちょっと書き残したいレベルだったので今さらですが記事にします。

 

まず、年金というのは後払い方式になっているということ。

例えば2月に送金されるのは12月と1月分で4月に送金されるのが2月と3月分である。

母の場合、2月末に亡くなったので手続きすると4月の送金は止められた。すると存命だった2月分は受け取っていないことになる。

その2月分を『未支給年金』と呼ぶ。

そしてこの未支給年金を請求し受け取れるのは本人と生計を同じくしていた三親等内の親族となっている。

母は施設にいたので生計を同じくしていた親族はいない。

では受け取れないのか?

と思ったら、『生計を同じくしていた』とは未支給年金請求者と亡くなった本人が以下のいずれかに該当する場合だそう。

  1. 同居していた
  2. 別居していたが、経済的援助が行われており、定期的な音信、訪問があった。

この場合の経済的援助とは生活費など現金によるものだけではなく、衣服、食事、日用品等の現物による援助も含まれるとのこと。

ということであれば、わたしは2に当たり、請求することができる。

しかしね、コロナ禍で定期的な面会を許されていなかった頃だったので当時はこの文言を読んだだけでカァーッとなりました。

母が生きていたときの母の年金を受け取るためになぜこのような条件をつけられなくてはいけないのか?と疑問でもありました。

不正ではなく正当に母が受け取るはずの年金だのに。

で、わたしが定期的に訪問し、食べ物の差し入れや栄養補助食品の購入、衣類や日用品を届けていた、経済的援助をしていたということを第三者に証明してもらわないといけないとありました。

ここで出てくるのが『生計同一関係に関する申立書』

(住民票上の住所が異なる場合に提出する書類)

これに生計同一関係証明書類を添付せねばならないのです。

健康保険の被扶養者になっていたり、扶養親族になっていたりケースによって証明書類は変わるのですが、わたしの場合は『第三者証明』が必要になります。これは施設のスタッフの方に記入してもらうしかないのですが、印鑑も必要なため、会社の承認もいるためでしょうかずいぶん時間がかかりました。その場でハイどうぞとはいかなかったです。

ホームから荷物も引き上げ、これまでお世話になりましたとご挨拶も済ませたあとで再びお願いするのは気が引けました。

しかもそれぞれの年金全て別々だったので複数回のやりとりが必要になってしまいました。

そうこうするうちに一つの年金は手続きが遅れて口座に送金されてしまい、あとから返金することに。

口座の凍結をしなくてはいけなかったのだけど、実家の光熱費は母の口座から支払っていたので銀行手続きはあと回しにしていたのでした。

第三者証明のほかにも戸籍謄本など用意しなくてはいけない書類はいろいろあって、国民年金、共済年金それぞれ必要だしで、母を亡くしたばかりの悲しみの中での手続きは辛いものでした。

なんら不正がないのに、それを証明しなくてはいけないこと、コロナで面会禁止、認知症で電話でも会話は成立しないパターンもあるのにです。

神経を逆撫でされるというか、とても傷ついたと感じたのを記憶しています。

なんかうまくまとまらなかったですが、とにかく亡くなった人の年金の手続きはややこしいと覚えておいていただければと思います。

ふう。

 

 

 

 

Posted by roku
手続き/申告 / 12:13 / comments(0) /
お久しぶりです

すっかり放置したままでした。

久しぶりにログインしてアクセスログを見たら、今でもそれなりのアクセスがあるのがわかって、こんなブログでも誰かの役に立つ情報発信がまだできるのかもと思い直したところです。

もう介護はないので更新頻度は少なくはなりますが、また読みに来ていただければ嬉しいです。

 

母の一周忌からブログ記事を書いていなかったのですね・・・

実家は売却処分(不動産屋に)したものの、建物はまだ取り壊されていないようでGoogleマップで見ると『売物件』の看板が掲げられたままになっています。11月に日帰り帰省をした際に立ち寄ってみましたが、もううちの持ち物ではないので外観を眺めるのみです。

早く買い手がみつかって新しい家が建つのを望むばかりです。

そして少しずつ母のものや実家から持ち帰ってきた自分のものなどを処分しておりました。

でもやる気にならないとなかなか進まなくて、仕事が忙しい時期があったり、夏は暑いし、年末年始の慌ただしさもあり、放置状態だったのを今週一気に片付け。

様々な手続きは終了したのでそれにまつわる書類や領収者なども全部処分。

老人ホームで撮っていただいた母の写真、プリントではなくカラーコピーのものですがそれも処分しました。

そこに写っている母はやっぱり本当の母とは思えず。

写真や手紙の類は処分するのも辛いものだけど、だいぶん処分しました。

わたしの記憶にある、母が母らしい顔をした写真のみ残しました。

祖母宛のたくさんのわたしが書いた手紙も実家から持ち帰ってきたけれど、それも全部処分。なのに祖母からもらった手紙の山は処分するつもりができなかった。また時間を置いてから考えようと思います。

母が地元の新聞に投稿して掲載された時の切り抜き記事の何枚かも残しました。その文面がとても母らしい気がしたから。

 

今後は自分のものを整理していかなくては。

 

元旦に起こった石川での大地震。

友人や親戚はみな加賀地方なので大きな被害はありませんでした。

こんなにも毎日、あちらの方言をテレビで聞くことになるとは思ってもみなかった。

復興まではまだまだ遠い道のり。断水が解消されるのは3月だとか。

二次避難のニュースで地元を離れるのをかたくなに嫌がるお年寄りを見て、嫌がるそれをわたしは母にしてしまったのだなぁと思う。

今月は母の三回忌と祖母の十三回忌で石川に行きます。

命日を過ぎないでやりたい(祖母はすぎてしまうけど)と考えるあまり、2月中旬に予定してしまったけれど雪の心配のある時期に法事なんて無理があったなと反省。自分たちが石川に行くのもそうだし、親戚にお寺まで来てもらうのもこの時期は大変。

30年前、わたしたちの結婚式は1月の大寒の頃で、その予定を決めたときも深く考えずだった。

式のあと石川に帰った両親と妹は大雪で電車が止まってしまい、帰宅が深夜になり、駅からタクシーを利用したがタクシーは家の前の道には積雪で入れず大通りまでで、そこからは革靴で歩いた。しかも留守番の祖母はもう寝てしまっていて玄関の鍵が開かず、雪玉を祖母の部屋の窓にぶつけて祖母を起こしたというエピソードを毎年この時期は思い出す。大寒の頃に結婚式だなんて本当に何を考えていたのだか・・と今になってやっとわかった鈍さです。

やっぱり北陸の冬は厳しい。

関東にいるとすっかり忘れてしまうけど。

少しでも能登のひとびとに思いを馳せていただけたらと思います。

 

 

 

Posted by roku
つぶやき・その他 / 14:12 / comments(0) /
一周忌

今日は母の一周忌。

お花とお供えに桜餅を買って帰ったら妹からお供えのお菓子が届いていた。

一年前のこと。去年の2月中旬から末までの日々のことはつらい思い出。

一年経っても変わらない。

父のときは考える間もなく息を引き取ったが、母にはいくつかの選択肢があり、それを選んでいかねばならなかった。

本当にこれでよかったのか?

母はどう思っていたのか?

答えのない問いはずっと巡り続ける。

わたしはどうしたらよかったのでしょうね。

 

自分で決めたことに対する後悔はないけれど。それが一番よかったかどうかは自信がない。

 

相続の手続きなどはほぼ終わり、一応落ち着いたということになるのだろうけどまだ一年。

昨日、母の日記を読んだ。何年か分が一冊のノートに書かれていて、58歳のバースデー!と書いてあったから今のわたしと同じような年齢の頃の母だ。

祖母との同居にまつわるストレスや、父の入院手術などあって、お友達と会っておしゃべりする時間が気が紛れると書いてあった。

あまりじっくり読むのは母に失礼かと思ってそっと閉じる。

一周忌が終わったら、いろんなものを整理しようと思っていた。この日記も処分しよう。

明日からやります。

Posted by roku
つぶやき・その他 / 14:05 / comments(4) / 昨年の記事
クロネコ見守りサービス

もはや介護というものがなくなったわたしですが、やはり介護関連のサービスのお知らせなどを見るとチェックしたくなります。

高齢の親の見守りサービスも以前よりいろいろ出てきました。

とにかく初歩の初、まだ何も必要ではないけれど、ちょっと心配という方向けのサービスをご紹介します。

クロネコヤマトの見守りサービス↓

https://www.kuronekoyamato.co.jp/ytc/campaign/hellolight2023/?utm_source=mailmagazine&utm_medium=email&utm_campaign=hellolight_cp_2022q4-email&utm_content=km-kenzai

こちらは月額1078円(税込)

初期費用はゼロで、電球を取り替えることでその電球のスイッチが一定期間on、offされなかったら通知されるというとても簡単なサービス。

電気ポットで見守りというのがありましたがそれと似たような感じかな?

電球のon,offがなかったという通知は午前9時までに来るようで、希望すれば訪問もしてくれるらしい。

まだまだ元気な親御さんの万が一に備えることができるのかも。

 

夫の祖母は一人暮らしをしていたときに台所で牛乳を温めていたときに倒れました。

そのまま数日は発見されず、義母が訪問したときはすでに息をしていなかったそう。小鍋には牛乳が炭になっていたとききます。

やはり冬の寒い時期などは家の中でもヒートショックの可能性もあるし・・・。

確か郵便局でも見守りサービスがあったような気がします。

探すと簡単に導入できるサービスが他にもありそうです。

またみつけたらご報告しますね。

 

 

Posted by roku
介護サービス / 16:19 / comments(5) / 昨年の記事
着物の出張買取

11月の帰省の時に着物の出張買取をお願いした。

帰省の三日間限定だったのでいくつかの業者を当たってみたがどこも予約でいっぱい。

サイトには当日でも出張OKとあるがそれは無理のようだ。

1週間以上余裕をみていたが年末が近づき片付けシーズンだからなのか予約は取れなかった。

そんな中、都合の良い日に予約ができたのが「バイセル」。

"着物の買取ならバイセル"とも言われているし、よかろうと思って依頼を決める。

 

友人からは「着物買取は二束三文だから自分で着た方がいいよ〜」と言われたが、結果はまさしくその言葉通りであった。

母と祖母の着物は思っていたより沢山あって、和ダンスから出して、査定しやすいように並べるだけでも一苦労。

母のものは全て二階にあったので何度も階段を往復。

半衿など着物小物も未使用のものあり。

何十枚あったのか?

 

査定員が来て、査定が始まる。

まずは着物の長さが重要なようで最近は身長が高い人が多いから丈の短いものは価値がないそうだ。

素材にしても絹以外はあまり価値なし。

汚れや虫食いの多いものも外される。

結局、数枚と帯くらいしか買取されないという結果に。

しかも一枚100~300円という淋しいお値段。

反物が1本あったがそれが一番高く売れたような。。。

留袖もまあまあ価値があるみたい。といっても300円。

帯もなんでもいいというわけではないようで名古屋帯を買い取ってもらえた。

それで総額2000円未満でした。

そんなものなんですねぇ。

着物の買取ということで訪問し、結局は貴金属目的なのだという話もあとから人に聞く。

 

査定員が帰ってからまた和ダンスに戻す作業が大変で。母のものはまた二階に運ぶ・・・

我が家には収納場所もないし、自分では着ないと思うしで残ったものは処分するしかない。

それでもなんだかもったいない気がして、着物をアップサイクルしている人に引き取ってもらうことにした。

12月の仏壇終いの帰省のときに何枚かピックアップして持ち帰る。さすがに全部は無理。

全く価値がないわけじゃないと思うけれどなかなか難しい。

まあ、古本なんかも買取は10円とかだし、そんなものなのだろう。

それでも整理することで、そういえば昔、祖母が着ていたな〜と少し思い出に浸れたので良しとする。

母の着物姿はあまり思い浮かべることはできなかったが。

そして祖母の着物の中から一枚はそのアップサイクルの方に依頼して普段着られるつなぎのような服を作ってもらうことにした。

出来上がりが楽しみ。

(アップサイクルとはリサイクルではなく、再生してさらに価値をアップさせるもの)

 

Posted by roku
つぶやき・その他 / 09:01 / comments(6) /
電気を廃止・親家片つづき

またまた間が空いてしまいました。

帰省のつづきを書かないうちに新年になってしまった。

昨日、実家の電気を廃止(停止)する。

火災保険の解約の連絡もする。

先月の仏壇終いの帰省で実家との訣別をしているつもりだが、電気を止めたことで本当の別れを実感。

人間で言うと、人工呼吸器で生き永らえていたのを停止したようなものかな。

 

話を先月に戻して。

お坊さんと叔父叔母、従姉妹が帰ったあと、遺影を下ろす。

掲げたままで処分業者に任せても良かったのだろうが、自分達でやる方が良かろう。

額縁から写真を外す。

さすがに破くことは躊躇われたので紙袋にしまった。

曽祖父母、祖父母、父の写真。

父の遺影を作ったときは亡くなってすぐのことで適切な写真がみつからず、妥協して遺影にしたのでその写真自体に思い入れがないこともあって遺影の処分には抵抗なかった。

そのあとの実家の片付けでもっと良い写真がみつかり、それは我が家のリビングで母の笑顔の写真と共に置いて朝晩お線香をあげているので。

祖母の遺影はその遺影を作るのに使ったスナップ写真をみつけたのでそちらをわたしが持ち帰ることにした。

 

何度も通った実家の片付けだが最終的に処分に困ったのは写真と手紙の類だろう。

日用品や家電などはそっくり処分業者に任せるとして、あまりに個人情報満載なものはわたしが片付けることにした。

手紙は読まずに破いた。

写真は風景や集合写真はそのまま処分。

家族写真はピックアップ。

両親や祖母がひとりで写っているものは皆で分けた。

最後の方は疲れてきていい加減に仕分けとなったが。

祖母の古いアルバムは叔母に渡す。

 

祖母は写真や手紙をちゃんと仕分けしていて、わたしが送った絵葉書などはひとまとめになっていた。

妹からのもの、従姉妹からのものもそれぞれまとめてあった。

大事と書いてまとめてあった写真もあった。

生まれ故郷台湾の写真。引揚者同窓会の写真。

結局、残してこちらに持ってきたものはわずかでほとんどは処分になるのだが、片付けをすることで亡くなった人の大事にしていたものに触れる機会ができたのは良かったと思う。

両親の結婚式の写真も初めて目にした。

母の成人式の晴れ着姿の写真も。(この二つは持ち帰る)

母の指輪も。

給料3ヶ月分ってやつかな?

誕生石とダイヤの指輪。父頑張ったんだね。

 

母と祖母の着物が沢山あり、ゴミとするのは抵抗があったので買取業者に査定を依頼。

そのときに貴金属はないですか?と言われて、いくつかジュエリーを査定してもらったけど、もちろんこの二つの指輪は提出せず。

その他のジュエリーは全く価値がなかったようで2個で300円とか。。

この指輪はわたしが保管しておく。

着物買取については次回に。

 

 

 

Posted by roku
つぶやき・その他 / 06:57 / comments(0) /
仏壇終い

仏壇終いの帰省から戻りました。

仏壇終い=お性抜き(お性根抜き?)と呼ぶらしい。

こんなことは一生に一度あるかないかで段取りなど知る訳もなく、疑問点でいっぱいだったが無事終了。
仏壇は一応お掃除して、引き出しの中にあった祖母の私物は処分しておいたものの、お寺からの印刷物などよくわからないものはそのまま引き出しに。
お花を供えて、蝋燭、お線香の準備をして当日を迎える。
空き家でガスも止まっているが電気ポットでお湯は沸かせるからお茶とお茶菓子の準備はする。
お茶菓子は敢えて近所の和菓子屋さんのものを購入する。銘菓ではないけれど法事のときはだいたいここのだったので。
仏間の掃除をして座布団を出す。なんだかんだで8人集まったので茶碗含めいろいろ数も多くなる。
暖房は電気ストーブ1台と電気カーペットのみ。
大雪予報でとても寒いので叔母と従姉妹に頼んでそれぞれ追加で電気ストーブを持ってきてもらったが、3台目の電気ストーブのスイッチを入れた瞬間にブレーカーが落ちて停電に。
ブレーカーを上げても電気が復活せず、めちゃくちゃ焦った。暖房なし、照明なしの仏壇終いになってしまうかと。
夫が四苦八苦してなんとか電気復活。
30Aだと電気ストーブ2台、ホットカーペット、湯沸かしポット、温便座が限界だなんて知らなかった。
時間になり、お坊さんが来てお性抜きのお経をあげてくれる。
お線香はお坊さんがあげるのみでわたしたちのお焼香はない。
そのあとお寺で処分してもらうものの取り外し。
これを自分たちで行うのかどうかがわからなかったが、お坊さんがやってくれた。
ご本尊(が描かれた掛け軸)を外し、両脇の文字のかかれた掛け軸を外す。この3つはセットのようだ。
その裏にはそれを用意した?ご先祖さまの名が書かれていた。俗名ではなく法名だったような。。
でもその名前は過去帳にはない人だった。
他にも法名の掛け軸、2本を外していただく。こちらは曽祖父母とそのさらに上の代の高祖父母の法名が書かれていた。
そして祖父の位牌がなぜか二つ。
浄土真宗では位牌はつくらないのだが、お坊さんによるとそうは言っても何かあった方がいいと作る人は多いのだそうだ。
位牌のひとつは法名の書かれた板が入れ替えできるようになっていて、法事の度に名前を換えて使えるものだったが祖父の法名のみでその後は使われていなかった。(というかそのシステム知らなかった)
で、これらの持ち帰りはお坊さんが風呂敷でも持って来られているのかなと思いきや、こちらで用意するようだった。
なにしろ空き家なので紙袋などもなかったから、神奈川の自宅から紙袋も一応用意していたが持ってきていて良かった。
以上がお寺に予め連絡しておいた処分して欲しいものだったが、お坊さんは仏壇の引き出しも開けて、他にわたしたちが処分に困るようなものを探して下さった。
特別なお寺の行事に参加したときに頂いたお札のようなものや、偉いお坊さん?の写真のようなものなど紙に包まれたものがいくつか。それらも処分してくださることに。
その中に戦時中に戦地に行くことを勧めるような書文もあって驚く。
お坊さんによると召集令状が来た人に向けてお寺が発行した書文のようだった。
このことについては間違っていたと真宗大谷派は謝罪しているとのことだった。
そういう時代だったとはいえ、世の中全てが間違った方向を向いていたことを改めて知る。
宗教の戦争責任については検索してみるといくつかヒットした。
参考までにリンクを貼ります→
この謝罪にしてもつい最近(30〜40年前)のことで、実際、戦争に反対していた僧侶は追放され、名誉回復したのもこの謝罪のタイミングだったというから、なんだかなぁという気持ち。
二度とこのような過ちはしてほしくないけれど、最近、あまりにも皆が同じ方向を向くことが多い気がして(コロナのことにしても)やや不安がある。
お坊さんが帰って、仏壇の中を覗くと中はガランとしていて、確かにタンスと同じただの家具になった気がした。
引き出しの奥の方にはまだ意味不明のものが少し残ってはいるのだが、まあ、このまま処分しても良いだろう。
こんな感じで終わってスッキリした気持ちにはなった。
前日、前々日は色々考えてしまうからなのかぐっすり眠れなかったがようやく昨夜はぐっすり。
仏壇終いに関しては難しいことはなく、意外と簡単なので悩んでいるならばまずは菩提寺に相談することを勧めます。
菩提寺がなければ、処分してくれる業者(僧侶も派遣してくれる)もいろいろあるので検索してみてください。
また新しくコンパクトな仏壇を購入する予定であれば古い方の処分を請け負ってくれる場合もあります。
今回の帰省についてはもう少し書きます。
Posted by roku
つぶやき・その他 / 08:54 / comments(2) /