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ほくほく線にのって…

離れて暮らす父が2005年9月に事故で脳挫傷、頭蓋骨陥没骨折で入院。
5ヶ月経ってようやく退院しました。
ほくほく線で父の見舞いに行った日々のこと忘れないように書き留めました。(2014年12月父他界)
両親と祖母の老老介護、遠距離介護についての想いを綴ります。(2011年12月祖母他界)
2016年2月、母を呼び寄せ、遠距離介護は近距離介護に。
肺炎球菌ワクチン予防接種

75歳のタイミングで接種していたのかな?と石川のかかりつけ医に問い合わせをしたこともあった。

母は2月生まれで肺炎球菌ワクチン予防接種のシステムが始まったときに75歳あたりで神奈川に転居したので役所に問い合わせもした。おそらくその75歳のタイミングはずれていただろうということでこのたび80歳のチャンスに接種することにした。

骨折からの退院直後で心配もしたが特に問題ないようでホームの訪問医によって接種。

この接種についてのお知らせも届いていたが、一人暮らしの場合は読むのも厳しいだろうなぁ。

最近のわたしも様々送られくるお知らせの類を読むのが億劫になってきた。これも老化なのだろう。

 

昨日の母はお風呂上がりでさっぱりした顔。

会話はするけれどやっぱり小声。

スタッフの方からも「お話しなくなってきたね」と指摘される。

お風呂で大を2本してしまったそうで・・・(この前もそうだった)

食事も全介助。本当に手のかかる人になってしまった。

褥瘡がなかなか良くならない。でも訪問マッサージのリハビリで立ち上がったりはしているから痛みはなさそう。

絵手紙は先生が下書きしてくれたところに色だけ塗っているようだ。自発的に何かやるという意欲が全くない。

編み物か縫い物か簡単にできること、また探してみよう。

ようやく涼しくなったので昨日は久しぶりのお散歩。車椅子の人が増えてしまったためか全員参加ではなく、車椅子何人かはお留守番。わたしがいたからか母は散歩メンバーに入れてもらえた。

公園までわたしも一緒に行き、そこで別れたのだが他のおばあちゃんたちはニコニコ手を振ってくれるけど母の反応はイマイチ。

いつもニコニコしているIさんは「お昼ご飯食べてないよ」と言っていたけど「もう2時だからきっと12時くらいに食べていますよ」と教えてあげると「あらそう?私は食欲旺盛だから」と笑っていた。今となっては物忘れなんてなんでもないって思う。

身体が動いて会話ができるってなんて素晴らしいことなんだ。

認知症って百人百様というのがよくわかるようになってきた。

Posted by roku
内科/循環器科 / 07:58 / comments(0) /
健康診断結果

六月に母の健康診断の結果が出ていた。

先日の受診のときに足のむくみを訴えてもろくすっぽ診てもらえなかったのはこのときの血液検査で異常がなかったからである。

心配される項目は何もなし。

健康ということだ。

 

しかし、気になったのは中性脂肪が急激に増えていたこと。

以前の検査結果との比較は下の通り。

 

体重 中性脂肪 HDL/LDL
2014.5 40.8K 42 86/109
2015.10 43.6K 87 94/132
2016.5 98 74/151
2016.11 67 73/151
2017.6 47K 138 66/151

母がサ高住に入居したのは2016年2月。

栄養状態がよくなった分体重が増えて、コレステロール値や中性脂肪が増えた。

しかし、この半年で中性脂肪が倍になっているのはいかがなものか?悪玉コレステロールも増えている。

運動が少なすぎるのかしら。

 

つながらないと思っても母への電話はなるべくかかさず続けている。

今週も全然つながらないと思っていたら昨夜はつながった。けれどもわたしの声が聞こえないらしく「どなたさんですか?」を繰り返す母。

一旦切ったら、今度はかかってきた。しかし、出ると無言。

携帯電話の使い方を忘れてしまっているのだろうなぁ。

もう一度かけると出た。今度は声もきこえるらしい。やっと会話。でも噛み合わず。

ほんの少しのやりとりのために30分くらい費やしてしまう。

 

コツコツがんばります。

Posted by roku
内科/循環器科 / 08:24 / comments(0) /
肺炎球菌ワクチン予防接種

涼しい日が続きホッとひと安心。ここのところ母からの電話もなし。

 

先日母のかかりつけ医から肺炎球菌ワクチンの予防接種は受けたかと質問された。

はて・・・?

実家の方のかかりつけ医に問い合わせしてみるとそこでは接種していないと言う。

でも父と一緒にかかっていた脳外科医院の内科で受けているかもしれない・・・

ところで肺炎球菌って何?と検索してみると予防接種が始まったのは平成26年10月からのこと。なんだ最近じゃん。

石川の自治体では75歳、80歳、85歳と5歳刻みで接種できるサービスがあった。(接種は1回のみ)

現在77歳の母は平成26年当時は75歳。ってことは接種してる???

問い合わせしてみると早生まれの母は平成26年の75歳ではなく、次の80歳のときになるとのこと。

やはりまだ接種していない様子。

とはいえ、80歳のときに石川の医療機関で接種するのはほぼ不可能。

後期高齢者医療保険、介護保険が神奈川でなく、石川のものを使うとなるとこんな風に使えないサービスが増えることになる。

これも自費だなぁ。

神奈川の自治体では市民税非課税で介護保険利用だと費用3000円免除という記載もあったので免除でできるのかな?

どうでもいいけど「平成」と年号を使うのはもう止めて欲しい。西暦でお願いしたいものだ。もう少ししたらその平成も変わってしまうのだから。

役所の縦割りな感じもどうにかならないものかしら。つづく。

 

Posted by roku
内科/循環器科 / 07:02 / comments(0) /
検査の結果

足のむくみがひどいということでかかりつけ医で月イチの診察の際に検査をお願いしていたのだが、その結果、異常なしとのこと。

昨年の健康診断で尿タンパクが認められていた母だがそれも異常なし。

コレステロール値も高かったのだが基準値内に納まっていた。

先週の木曜に確認したところでは足のむくみはずいぶん良くなっていた。

かかりつけ医によるとむくみは老人性のものだそう。

心臓の動きも若干よくないそうだがこちらも治療にあたるレベルのものではなく加齢によるもの。

とりあえずはホッとした。

 

これまで母はさほど健康に気を使うことも運動もして来なかった。

もともと虚弱体質でもある。

だけどサ高住に入居してからはバランスのいい食事になり、デイサービスではちょっとした運動もしているようなので健康状態はよくなっているのかも。とにかく独り暮らしよりは何倍も何十倍もいや、何百倍もいい。

菓子パンをお昼ご飯にするような生活から一変したのだ。

 

しかし、暑い夏にはまた心配が増える。

先週もわたしが訪問したときは窓を閉め切り、カーテンまでもびっちり締め切った中で電気もつけずテレビをみていた母。

その日はそれほど暑くなかったけれど。

土曜は気温があがったので電話をして窓を開けるよううながした。

母のエリアは最高気温は30度を超えた。でも「暑くない」と言う母。

水分も全くとらない。のどの乾きを感じないから。

これって生物としてもう終わってますね。

生きるための感覚を失っているのならば、他の動物ならばもうおしまい。

うーむ。

Posted by roku
内科/循環器科 / 08:02 / comments(0) /
足のむくみ
先週の木曜の母の訪問時に靴下を履き替えさせていたときに気付いたのは足のひどいむくみ。
これまでもむくんではいた。いつも靴下のゴムのあとがくっきりなのでつい先日、ゴムのゆるいゆったり靴下を購入して履かせたばかりだった。
しかし、目にしたのはこれまで見たことないような象足だった。特に右。
足首から下がひどくむくんでいた。ちょうど靴下で隠れる部分。
足首から上はそれほどむくんでないように見えるが指で押すとへこんで戻らない状態。
その前の週は靴下の履き替えをしなかったので気付かなかった。2週間前のときはこれほどではなかったはず。
手を見せてもらうと左手の結婚指輪のところが食い込むほどやはりむくんでいる。
木曜はかかりつけ医が休診だったので土曜に妹が母に付き添い受診した。
尿が出なくて検査は血液検査のみで只今、結果待ち。
高齢者は足がむくんでいるとはよくきくので心配しすぎかとも思うが、でも父のときはこのむくみを数日放置したために手遅れになってしまったのでナーバスにならざるを得ない。
昨年秋の健康診断で蛋白尿だった母。特に治療が始まった訳ではないが疑われるのは腎臓系の病気。
むくみの原因にも腎臓、心臓、肝硬変の文字が→
ネフローゼ症候群が疑わしいと思っている。
父の場合は心臓が原因だった。
腎臓の機能は失われたものは元に戻らないのは老猫介護で痛いほど味わった。
母のこれまでの食生活、加工食品が多かったから塩分とりすぎだったのだろうか?でも全体的には薄味だったと思うのだけど。
水分を全く摂らないのも気になる点。
尿の量はどうなのだろうか?
リハパン(紙パンツ)、パッドを利用するようになってからトイレに行く頻度はグッと減ったが取り替えたパッドはずっしりと重いのでそれなりの量は排出していると思われるが・・・。
泡立った尿かどうかなど知る由もない。便器の汚れをみて軟便なんだなということは知ったけれど。
おそらくデイでも入浴の際の着替えなどはひとりでしているのかな。
今回の足首から下のむくみのように気付きにくい変化がありそう。
父のときはほぼ全介助だったので身体のむくみについてはデイのスタッフさんが気付いてくれたし、便や尿については母が把握していた。
サ高住は独居なのだということは忘れてはいけないな。
石川でのケアマネさんは母が独り暮らしということでかなり注意深くみてくれていたと思う。デイケア施設にいてくださったのでデイでの母もみてくれていたので朝到着した時点で紙パンずっしり濡れているとか細かく報告くださった。
洗濯しているようだが洗剤を入れていないなどという報告まであり。
ときには細か過ぎるなぁと思ったりもしたけど今思えばほんとにきめ細かくみていただいていたのだとしみじみ思う。
母の性質も把握していたし。ヘルパーさんも同様。
今頃感謝しても遅いけど。
 
Posted by roku
内科/循環器科 / 08:22 / comments(0) /
母、インフル感染
今回の3泊4日の帰省も盛りだくさん。
短い滞在中にやらなくてはいけないことをリストにしてあれこれ計画して帰省したはずですが・・・。
いきなり最初から予定変更を余儀なくされる。

帰省初日、石川に向かうほくほく線の中でケアマネさんからの電話。
この日は母はデイサービスに行っていた。
しかし、朝の検温で38度以上ありインフルエンザかもしれないとのこと。
何度か電話でのやりとりがあったが結局、ケアマネさんが母を病院に連れていってくれ、実家に寝かせてくれた。
わたしは駅からなるべく急いで実家に直行。母はすでに投薬も済まされ、栄養剤も与えられベッドに寝ていた。
数時間おきに熱を測るも37度台後半。食事はいらないという母。
何よりもベッドから起き上がることも困難。
抱きかかえるように身体を起こしてやってもそのあとベッドから降りられない。
ベッドから下りたら下りたで、今度はベッドに上がれない。
手は宙をつかみ、必死で手すりを探す様子。
生前の父のようにベッドの上で寝返りさえも自分の意志どおりには打てない。
話しかけても受け答えは心もとなく、どうみても以前の母とは別人のよう。
たまたまわたしが帰省のときでよかったがこれがもし、母ひとりのときならどうなっていただろう。
布団すらも自分では掛けられない感じ。

このまま母も父と一緒に逝ってしまうのではないだろうかと不安だけがつのる。
母はその夜は眠り続けた。
朝になって熱が少し下がった。なんとか起き上がった母。
案の定、おねしょ。そりゃそうだ。夜間は一度もトイレにいかなかったもの。
昨年の8月に帰省したときはまだ利用していなかったはずの紙オムツを12月の帰省のときはすでに利用していた母。
ちゃんとパッドを使い、自分で処理していた。そのおかげで頻繁にトイレにいくことはなくなっていた。
しかし、夜間はうまくいかないこともあるらしく、12月の帰省のときは敷いていなかったはずの防水シートが今回の帰省では敷いてあった。そしてそのおかげでこのインフルの熱でうなされた夜も大惨事は免れた次第。
ボーッとしながらも防水シートをはずそうとする母。
「洗わなきゃね」と母を手伝う。
「全部洗わなきゃ」とズボンや下着も取り替えることをうながすと「ああ、そうか・・」と母。シートだけかえるつもりだったのか??
このあとの着替えもまた大変で脱ぐのも大変、着るのはもっと大変。
立ったまま靴下をはいたり、パンツを上げたりすることはできないので座ったまま。とても時間がかかった。
まさか母の着替えに介助が必要になるとはまだ考えていなかった。
紙パンツにパッド装着、そして布パンツ、長パンツ、ズボンを履く。(重ねすぎ?)
上も前開きの下着に被りの下着、ブラウス、ジャケットとかなりの重ね着。寒がりなのはわかるがもうちょっとシンプルにした方が良さそう。そして着替えに時間がかかることから、母は基本着替えない方針のようで就寝時と起きているは同じ格好・・・。そういえば父もそうだった。
祖母もそういう傾向があったなと思い出す。
高齢者ってみんなそうなんでしょうか?

帰省二日目も母は寝ている時間が多かった。
でも朝食も昼食も食べてくれ、熱も下がりなんとかひと安心。

 
Posted by roku
内科/循環器科 / 08:06 / comments(0) /
29日午後
29日のメモより。
13:30 脈は落ち着いている。
   尿も出始めた
   不整脈の発作が起きなければ。ただし今後また尿でなくなる。
   夜までは大丈夫そう。
14:20 血糖値高いのでインシュリン注射 吸たん
   吸たんはとても嫌がる。採血も痛いらしく顔をしかめ「まだか、まだか」と言う父。
15:00 尿少ない
15:45 血圧101-60 37.4度 吸たん
16:00 妹たちもうすぐ富山
17:00 36.6度 看護師さんが呼び掛けるも答えずグーグー寝ている
18:00 妹家族到着し医師から説明受ける
   いくら呼び掛けても眠ったままの父
   クレアチン1.4 それほど悪くない数値なので腎臓の様子みながら利尿剤を使うとのこと
   貧血の数値も悪くない 左右とも心不全 今日明日がヤマ
夜はわたしと妹が病院に泊まることにし、交替で仮眠をとることにする。
病院で簡単な夕食を済ませたのち、わたし以外のメンバーは母を連れて実家に戻り、入浴後に妹のみ病院に戻ることに。わたしだけそのまま病院に残る。
22:00 血圧90-55 ときどきしかめっ面をする。数分で止まる。
23:00 また顔をゆがめる。5分くらい。
   尿の出が少ない
23:15 血圧が下がってきている
23:20 看護師さんに母たちに連絡するよう言われる。医師にも連絡。
病室を出て実家に「すぐきて」と電話をし、再び病室に戻ったときには担当医師が駆け付けていた。
心電図のモニターをみながら説明受ける。乱れた心電図。一瞬直線になるがまた少し山になり、心拍数も20台。こんな風にときどき心臓が動きながらも止まってゆくようなことを言われたと思う。
「苦しいことはないと思いますよ」とも言われた。
その後は父のかたわらで「大丈夫、大丈夫」とつぶやき続けるしかなかった。父の胸のあたりをポンポンしながら。
息をしているかどうかもわからなくなっていたがときどき首筋がピクリと動くことで辛うじて命を感じていた。
何回かモニターを見たと思う。
最後に見たときは直線と0という数字。
医師はご家族が来るまで待っていますからと言った。

妹家族と母が到着。
他に駆け付ける家族がいないことを確認して医師が時計を読み上げる。
「午後11時55分・・・」
治療を中止した時刻が死亡時刻ということなのだった。




 
Posted by roku
内科/循環器科 / 08:35 / comments(0) /
不整脈の発作
12月28日の夜に実家に到着。
予定外の年末の帰省。上越新幹線はなんとか席がとれたもののほくほく線は満席で湯沢ダッシュをしたが自由席は通勤ラッシュ並みの混雑であった。
だけどお天気だけは素晴らしく良くて、雪化粧した越後の山並みがとてもきれいだった。

29日の午後に医師との面談が予定されていた。
内容はよくわからないが今後の治療方針ではないかと思っていた。
母はいつも午前9時過ぎにタクシーで病院に向かうのでそれに同乗するつもりで朝の時間を過ごしていた。
7時半前だったと思うが母の携帯が鳴る。
看護師さんからだった。
母を連れてすぐに来て欲しいと言う。「覚悟して」という言葉に動揺する。
すぐにタクシーを呼び出かける。タクシーの中で再度、看護師さんから電話。「どのくらい時間かかりますか」
20分ほどで行けると答える。夫と妹にも電話する。
午前8時すぎに病室に到着。
そのときは落ち着いていた。
医師の話によると朝、大きな(爆弾的な)不整脈の発作が起きたのだという。
心臓マッサージや電気ショックをほどこしたとのこと。降圧剤も使いでき得る限りの治療をしているがもう一度発作が起きると救う方法がないとのこと。
人工呼吸器をしても父にはその効果がないとのこと。
現時点では薬が効いている感じがしないので夜までもつかどうか・・・とのことだった。
妹たち家族が神奈川から車で駆け付けていることについては、のけぞり「新幹線じゃないんですか!?」とのこと。
年末の帰省ラッシュ、雪の影響がある道路事情では時間がかかる。彼女らは間に合わないのではないかと。
前日までの様子では輸血により貧血も改善され、尿もよく出ていて心拍も安定しており、年明けには自宅近くの総合病院への転院についても検討していたとのこと。それが突発的な発作が起こってしまったのだった。
治療としてはもう電気ショックは使わず、降圧剤、利尿剤、カリウムの少ない点滴による治療だけを続けるとのこと。
痛いつらい治療はもうしないという点だけはほっとした。

午前中の父は意識もあり、ときどき「尻が痛い」と訴え体位変換してもらったりしていた。
何か話しかけてはくるがはっきりききとれないことが多かった。酸素マスクをすぐにはずそうとする。それをなだめ続ける。
昼頃に父の兄家族が見舞いに来てくれた。叔父の「がんばれ」の言葉に「うん、がんばる」と答えた父。
それほど悪い状態には見えず、こんな風に見舞いに次々と訪れるとかえっていけないのではないかとすら思う。
尿もよく出ているようだった。
この時点で医師も「薬が効いて来たようで心拍も安定してきているし尿もよく出ているから発作が起きなければ・・」とおっしゃっていた。妹たちにも落ち着いている旨をメールで伝え、慌てずに、でも早く来てねと念を押す。
父の担当だった療法士さんも病室をのぞいて声をかけてくれた。
この頃、わたしはまだ楽観的に考えていたと思う。
 
Posted by roku
内科/循環器科 / 20:00 / comments(0) /
父、旅立つ
12月28日の午後に帰省し30日に戻ってくるはずが、29日の夜に父が亡くなり元旦通夜、二日葬儀という次第になってしまいました。2泊3日の着替えだけで過ごした実家での10日ほどの日々。
ひとり残された母のこれからのこと、祖母のときと同じく、通夜葬儀のための決めごとの数々に苦しめられ、悲しみや不安や責任感、いろんなものが入り混じって通夜では取り乱したように泣いてしまいました。
父の最期はとても静かで穏やかでした。
治療の終了(臨終)は全ての家族が揃うまで待ってくれましたが、父の心臓が少しずつ静かになっていく最期の20分くらいはわたしひとりでした。母や妹家族がかけつけるまで父は待ってくれませんでした。
どうして、おとうさん?って思ったけれど、それもまた父らしい最期だったのかもしれません。

「ほくほく線にのって」これにて終了とも思ったけれど、このブログには父のことが溢れていて、だからこそやっぱり今後も続けようと思っています。
Posted by roku
内科/循環器科 / 21:03 / comments(4) /
再びほくほく線
戻ってきたばかりですが、本日再び帰省することになりました。
医師から面談があるとのことで呼ばれました。
父は「僕の葬式はいつだ?」と赤い顔で母に言ったそう。
熱で悪い夢でもみたか。
母からは日に4回くらい電話がかかってきて「ど〜してもドライバーがみつからんがや」。
先日の帰省のときに組み立て途中だった棚を完成してやったあと、ドライバーを母に託したのがみつからないらしく、そのことがとにかく気になって仕方ない様子。
なんかぐちゃぐちゃですが行ってきます。
 
Posted by roku
内科/循環器科 / 07:23 / comments(0) /