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ほくほく線にのって…

離れて暮らす父が2005年9月に事故で脳挫傷、頭蓋骨陥没骨折で入院。
5ヶ月経ってようやく退院しました。
ほくほく線で父の見舞いに行った日々のこと忘れないように書き留めました。(2014年12月父他界)
両親と祖母の老老介護、遠距離介護についての想いを綴ります。(2011年12月祖母他界)
2016年2月、母を呼び寄せ、遠距離介護は近距離介護に。
認知症に向き合うヒント

SNSで交流のあるフードライターさんが認知症のお母さまのお食事について記事を書かれているというので初めて手にした『栄養と料理』という雑誌。
特集タイトルは『認知症に向き合うヒント』。注目のタイトルである。
どちらかと言えばすでに介護にどっぷり浸かっている方向けではなく、認知症かな?と思ったらのテストや予防の食事などの記事が目立つ。
フードライターSさんのページはしっかり拝読した。
独り暮らしだったお母様の異変に気付いたときは認知症がかなり進行していたそうで合わない薬のせいもあっていろいろ大変だったご様子。結局、Sさんがご主人、猫と離れておかあさまと同居する生活になった。薬を適切なものに替え、日々の食事に気を使ううちに穏やかな生活になってきたそうだ。
彼女の頑張りには頭が下がる。
なかなかできないことと思う。(わたしにはできないだろう)
わたしの知り合いにも家族と離れ、高齢のおかあさまと実家での同居をされている人がいる。もちろん遠距離ではないのであるが。
独り暮らしができなくなったとき、それでも自宅に住みたいと思うなら誰かが同居という選択肢しかなくなる。
それを選ぶ勇気はすごいな。

でも住めば都で自宅にこだわらなくても良い住処はあるのではないかと母をみて思う。
認知症だって百人百様だし、テレビ番組や雑誌の情報はあてにならない。まあヒントにはなるだろうけど。
特にテレビではネガティブにとらえるものが多くて認知症って恐くて嫌で超マイナスイメージ。なったらおしまい、そうならないために予防!!!という番組ばかり。
なんだよ!!って思う。

Sさんのつくるやさしい料理の写真をみていると和む。
毎日あんなお料理を食べていたら気持ちも落ち着くでしょう。
そしてそれをしてあげられたならどんなにいいかとは思うけれど・・・。
認知症のひとだけじゃなくて単純に家族にあんな気持ちの込もった食事をつくってあげられたならば。
料理上手ってうらやましい。
今は共働きがあたりまえだけど、専業主婦って大事じゃないかと思うのよね。
家のことするのが専門のひとが家族にひとりいるといいなぁと。
あとおじいちゃん、おばあちゃんみたいに何もしないでいるひとも。
今はみんながせかせかしているから。
今月はわたしも忙しくて我が家はトゲトゲしています。反省はしてるけど余裕はなし。
ふー。
 
Posted by roku
/ 07:16 / comments(0) /
きのうの神様


観てよかった映画のひとつ『ディアドクター』の監督西川美和氏の『きのうの神様』を読む。
短編集であるが映画と同じタイトル『ディアドクター』は映画と同じエピソードはでてくるものの違うストーリーであった。
この小説を書くきっかけは僻地での医療を題材にした映画をつくりたいということだったらしく医療現場で取材を重ねたとあってとてもリアル。
一番すごいなと思ったのは両親が亡くなって、認知症の92歳の祖母とよろず屋を営む38歳の孫娘と医師との会話。
祖母は「あー」「うー」しか言わないのでほとんど孫娘が代弁する。
祖母サキヨは事態全てを理解している。
可愛い孫娘の手を煩わせて、自分一人が長生きしていることを心底恥じている。
テレビで100歳を超えたご長寿の老人がお祝いをされている映像などが映るたびにサキヨと孫娘どちらかが無言でチャンネルを変える。
どうしよう。あと10年生きてしまったら。

「だから私とおばあちゃんは、あとは上手にぽっくり逝くことだけを目標にしようって言ってるんです」
「先生、早く逝きたいよ〜」

「ここの前の通りを登るとお宮さんがあって、お正月にはみんなで絵馬を書いて十五日過ぎに燃やすんです。燃やすとよくお願いが通るんです。だから今年は『早くぽっくり逝けますように』って書いて二人でお願いしたのよね。ね!ね!」

立ち去ろうとする医師に「ねぇ先生、先生にこのおばあちゃんの余命が分かりますか?分かるんなら、お願いだから教えてください」と詰め寄る孫娘。
医師は医師で「サキヨさん、さようなら。お元気で。逝く時は、ぽっくりでね」と立ち去る。
他にも「誰にも言わんから、死ぬ注射打って」と言ってくる一人暮らしの老女などちょっと笑えない話満載であった。

上手にぽっくり逝く、それは現代の永遠のテーマであるなと思った。
Posted by roku
/ 08:11 / comments(0) /
死ぬのは、こわい?

 
ちょっとドキッとするタイトルの本だけどこわくなかった。そんなに悲しくなかった。
「死にはどんな形容詞が似合うと思う?」中二の夢二に問いかけます。

死は誰にでも訪れるのに、なんだか忘れてしまいたいような存在。
著者はホスピスケアのある診療所(この本の舞台でもある野の花診療所)を2001年に開設。末期ガン患者と向き合う日々。
天寿ガンや生誕死、そんな言葉はこの本ではじめて知った。

そして何より印象的なのは高二の鈴木くんのこと。病名は縦隔腫瘍。
「将来、理学療法士、なりたいけどなれますかねー」
「なれるよ、でも、一浪くらいは覚悟だぞー」
でも亡くなった。
先生、鈴木くんが亡くなったとき、ボールペンで左手背に書いてあった二つの言葉が忘れられないと言う。夢二が尋ねる。「なんて書いてあったの?」

<ボストンバック/あさって>って書いてあった。なんだろう、この言葉。

そしてあとがきにかえて、谷川俊太郎さんが「あさってとボストンバック」という文章を寄せている。
死ぬこととは?
死を形容するコトバは?

それはこのあとがきでわかる。「あさってとボストンバッグ」・・・。
Posted by roku
/ 12:14 / comments(0) /
明るい人、暗い人
 脳外科の先生が書いた本を読んでいたらおもしろい記述がみつかった。

それは『脳の治療を受けている人を比べると性格の明るい人ほど治りやすい』というもの。
暗い人ほど治りにくいのだという。

それはどういうことかというと、性格の暗い人はアドレナリン系やセロトニン系の神経を使っていて、逆に性格の明るい人は脳の中のドーパミン系の神経を良く使っている。ドーパミン系の神経を良く使うほうが治りやすいのでは?というもの。
ドーパミン系の神経を多く使うものには記憶を司る海馬回と喜怒哀楽の中枢である扁桃核があるそう。

記憶力が良くて喜怒哀楽が豊かな人はドーパミン系神経を良く使っている=性格が明るい=治りやすいということだろうか??
ともかくドーパミン系の神経は人間の性格に関係しているらしい。
ドーパミンが減ることで起こる病気のひとつ、パーキンソン病が表情がなくなり、こわばるということからもそれがうかがえる。

さて、では父は明るい人なのか、それとも暗い人なのか?

・・・・

どっちだろう?
あまり陽気な性格ではないことは確か。そんなにジョークを飛ばすタイプではない。
でも暗いというのとは違う。

しいて言えば恐い人・・・。

現在は好々爺となりつつあるが、昔は顔が恐かった。すぐどなるし。

さて、コワイ人の治りは早いのか遅いのか・・・・。

いずれにしてもドーパミン系神経は欠かせないもののようだ。


Posted by roku
/ 07:25 / comments(0) /
バリアフリーの温泉旅
先日本屋さんで バリアフリーの温泉宿を特集した雑誌をみつけた。今後の参考のために迷わず購入。
全国の宿が紹介されている。バリアフリー情報も載っている。だけどうちの父みたいに車椅子に乗っても体が不安定な人にとってはやはり旅行は高いハードルだ。

新幹線や私鉄に乗る時のアドバイスも載っていたけどなんだかややこしい。
やっぱりそんなに簡単には出掛けられない。

でもこういう本が発行されたことは喜ばしい。

段差がなくてスロープになっていて車椅子でも安心という情報より、スタッフが全員介護講習を受けているとかいうソフト面での情報の方がありがたい。
お風呂がリフト付きという宿もいくつか紹介されていた。

お風呂に関して言えば、浴槽の中で腰掛けられるお風呂がいいなぁと思うのだけどその辺りの細かい情報は残念ながらない。お部屋もバリアフリーの場合でも畳に座るようになってたりするし。座ったら立つのが大変という人は多いと思うのだけどな。
あと水着で入れる温泉があればいいなと思う。その方が介護する方もされる方もいいと思うのだけど。

それからいわゆる「バリアフリールーム」の呼び方だけど「ハンディキャップルーム」はいただけないなと思った。「ユニバーサルルーム」という名称で統一したらどうかと思うのであるが。

今度、父にこの本を送ってあげよう。
Posted by roku
/ 07:21 / comments(4) /
結婚しなくていいですか
夫なし男なし三十路半ばのすーちゃんの物語を読んだ。
毎日考えるのは老後のこと。遺言書かなきゃと思ったり、やっぱりお金だ→宝くじ買おう!というところで思考はとまる。

お友達のさわ子さん。40歳、独身、男なし。
お母さんと寝たきりのおばあちゃんと3人暮らし。
35歳のすーちゃんよりも私はさわ子さんに感情移入してしまった。(歳も近いし)

少し前にすーちゃんやさわ子さんのような人のことを『負け犬』と呼んでやいのやいの言う風潮があった。あの呼び方でたくさんの人が傷ついたのではないかと思う。余計なお世話なこと言われたりもした。
だけどこの物語に登場するすーちゃんのお友達、妊婦のまいちゃん(結婚して退職して赤ちゃんができて幸せの真っ只中のはず)のひとりごとをきけば本当は「負け犬」なんていないのに・・・って思う。

きっと結婚してても、してなくても、子供がいてもいなくても、お金があってもなくても、みんな不安を抱えてる。見えない将来に怯えているんだ。

いいなーって思ったのはさわ子さんのおばあちゃんに対する接し方。
おばあちゃんはいろんなことをもう忘れてしまっていて「娘」であるお母さんのことは『姉』だと思っていてさわ子さんのことは「お手伝いさん」だと思っている。だから「姉」のお母さんにはわがままを言ったり言うことをきかなかったりするけど、「お手伝いさん」のさわ子さんには本来の「おばあちゃんらしさ」で迷惑はかけていけないと思っているらしくわがままを言うことはあまりない。
おばあちゃんはいろんなことを忘れてしまっているけれどなにもかもわからなくなったのではなくて、「迷惑をかけている」とあやまったり娘時代をなつかしんだり、年金の心配をしていて、さわ子さんは『そうなんだ。おばあちゃんは赤ちゃんではなくてひとりの大人なんだ。』と当たり前のことに気付く。
さわ子さんのお兄ちゃんは家族で実家に来てもおばあちゃんが何もわからないと思っておばあちゃんに顔を見せにも行かない。
だけどさわ子さんちに初めて遊びにきたすーちゃんはおばあちゃんが長く寝たきりなのだということを初めてきいたのにも関わらず「おばあさんにもごあいさつしていい?」とおばあちゃんのお部屋に行く。『はじめまして。森本好子です。今日はごちそうになりに来ました!!』とごあいさつ。おばあちゃんは『どうぞごゆっくり』と答えた。

すーちゃんってすごくまともでいい子!
さわ子さんもヨガの日以外はなるべく早く帰ってお母さんを助けてあげる家族思いの娘さん。

自分と家族と友達、だいじにしたいなぁとしみじみ思った。
あと、帯に書いてあったすーちゃんのプロフィール、「嫌いなことば 自分探し」がいいなーと思った。私もその言葉、キライです。
Posted by roku
/ 07:45 / comments(0) /
無名
父のことでネガティブになっていても何ら状況は変わらないので、つとめて楽しいことを考えるようにしようと思う。春なんだし。

沢木耕太郎の『無名』を読んだ。帯に『息子はどのように父を見送るのか?』とあり、あらすじを見ると『脳の出血のため入院した父』との言葉があったので興味を持って読み始めた。
脳に出血があって入院した沢木さんのお父さんは入院したときにはすでに出血もおさまっており、手術などを要する状態ではなく、片マヒなどの後遺症もなかったようでリハビリするとかそう記述も全くない。ただ89歳という年齢のための体力の衰えは確実で家族でローテーションを組んでの付き添いが始まる。病室で過ごす父との時間について淡々と語られている。
やがて肺炎を起こし、抗生物質を投与するもなかなか熱も下がらず打つ手もなくなりつつある状況になる。家族の強い要望で父親を退院させ在宅で看護することに。すると一旦は快方に向かうお父さん。
しかし、ある日突然死を迎えることになる。

親を見送ることにセオリーなどあるはずもないと思うけど、看護することでふれあい、会話を持ったことで確実に悔いは少なくなる。
誰にでも終わりのそのときはくる。遅かれ早かれ。
誰だって死ぬまでは生きているのだ。

この本の中でいいなぁと思ったのはお父さんが亡くなったあと残された俳句を集めて父の句集を発行しようと沢木さんがたくさんの俳句の中から句集にのせるものを選別する作業のことを骨を拾っているようだと言っていたこと。

おすすめの本です。
Posted by roku
/ 07:59 / comments(0) / 昨年の記事
左手の記憶
先日読んだ小川洋子さんの小説の中に左手の記憶をなくす女性が登場した。

彼女はある日突然に『ベッドの中で目覚めた時、不快というほどでもない、わずかな違和感が腰のあたりにあった。痛みともしびれとも違う、漂うような、揺れるような不可思議な感じ』を経験するのだ。

そして左足という言葉の意味がわからない。(右足のことはわかっている)
左側のそれをどういう風に動かしたらいいのか見当もつかなくなる。

父の事故後、片マヒについて何度も想像した。機能は失われたわけではないのに動かない左手と左足。一体それはどんなかんじなのか?

この小説にあるように左足は『左側にくっついている粘土の塊』、そんな感じなのかもしれない。

この『アンジェリーナ』という短編集は佐野元春さんの曲をもとに綴られたもの。ちょっと懐かしいあの曲の歌詞とも出会える。
でも現実はこんなにロマンチックなはずはない。あくまでファンタジーなのだ。
左足の記憶をなくすことすらも。


Posted by roku
/ 07:55 / comments(0) /
ツレがうつになりまして。
今後、父に可能性のある症状として「抑うつ状態」というのが気になるのでこの本を読んでみた。「抑うつ」というのはうつ病とは違う。パーキンソン症候群がパーキンソン病と違うのと同じく、うつの「状態」のことを指す。簡単にいうと落ち込んでいる状態。誰しも落ち込むことはある。だけど健康な人なら一週間くらいでその状態から抜け出すことができる。抜け出すことができなくてずっと落ち込んでいる状態が抑うつである。

サラリーマンの夫があるとき突然うつ病になった様子を妻の視点からマンガにしたもの。うつについて何の知識もない人にもわかりやすく、とても読みやすい。(何しろマンガなので)でも、うつ病が誰にでもなる可能性のある病気であること、本人の気力なんかではどうしようもないこと(病気ですから薬じゃないと治せない)、振り子のように良くなったり悪くなったりを繰り返すことなどを知ることができた。
うつの人に対しての接し方の参考にもなるかもしれない。専門書とは違うけど読んでおくといい本だと思う。

それにしても例えば失恋してもそのうちまた好きな人ができたり、すごくいやなことあってもおいしいもの食べたらすっきりしたり、そんな当たり前のことって実はすごい脳の働きだったんだなーと思う。
父の事故後しばらくは食事ものどを通らないひどい状態だった私も、1ヶ月もしないうちにモリモリ食べられるようになっていた。それってやっぱり精神的に健康だったのだと改めて思う。落ち込むことは人間誰しもある。ただそこから這い上がれるかどうかが健康かどうかの境目なんだ。ポキッと折れたりしないよう、心と体の健康に気を付けたいものです。
Posted by roku
/ 07:56 / comments(0) /
ぼけてもいいよ
先日に引き続き村瀬孝生さんの著書を読む。本書は2003年4月から2005年12月まで西日本新聞生活面に連載されたコラムをまとめたものだ。『おばあちゃんが、ぼけた。』同様に宅老所でのお年寄りとの毎日の暮らしに寄り添う姿が書かれている。
村瀬さんが所長を務める「第2宅老所よりあい」は普通の民家だ。<住み慣れた街でその人らしく暮らすこと>を大切に高齢者の生活支援を行っている。地域の普通のこの民家にお年寄りたちが通い、必要に応じて泊まることもでき、いざとなったら暮らすこともできる。この「普通の民家」というのがなんかいいなーと思う。
村瀬さんは正座をしても寝っ転がっても差し支えない日本の民家はいいなと言う。姿勢によって気持ちが表現できる日本の住まいは腰から下の空間がとても豊かだとも言う。例えば立ち上がれないなら畳を這って移動してもなんら問題はない。ところが欧米の椅子とテーブルの住まいはそこは床であり寝転がったりするのは非人間的に見える。まして床を這うなど許されない。なぜならそこは靴を履いて歩くところだから。

うちのばあちゃんも立ち上がりに苦労するようになってきたので椅子を置いたら?と提案したのだけどいらないと却下された。ごろんと畳に横になったり、足を投げ出して座ったり、かと思うとお客さんをお見送りするのに正座して三つ指ついたり、確かに実家での和室は椅子の暮らしとは違う。そういう暮らしに慣れ親しんだ人たちを無理矢理現代風の建物に押し込むのはどうなのか?とこの本を読んでそう思った。
村瀬さんのようにみんなで老いにつきあえたらどんなにか幸せだろう。
デイケアもいいのだけど、茶飲み場があればいいんだよなー。空き家を利用したり、お寺のお堂だとか・・・。

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Posted by roku
/ 07:07 / comments(0) / 昨年の記事