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ほくほく線にのって…

離れて暮らす父が2005年9月に事故で脳挫傷、頭蓋骨陥没骨折で入院。
5ヶ月経ってようやく退院しました。
ほくほく線で父の見舞いに行った日々のこと忘れないように書き留めました。(2014年12月父他界)
両親と祖母の老老介護、遠距離介護についての想いを綴ります。(2011年12月祖母他界)
2016年2月、母を呼び寄せ、遠距離介護は近距離介護に。
これまでの経緯
 祖母の病状を整理してみる。
10月24日に外科医院に入院。
そのときの入院診療計画書の病名の欄には第12胸椎、第2腰椎圧迫骨折、変形性胸腰椎症とあった。症状は「腰背部痛」。安静、リハビリが治療計画にあった。

ところが入院後、祖母の容態が悪化。
入院前から咳が続いており風邪薬を飲んでいたのだがその症状も悪化。熱も出る。
レントゲンを撮ったら肺に影が・・(肺炎?)
その間ほとんど食事を受け付けず・・・。
リハビリは1週間足らずしか行われなかった様子でその後寝たきりに。一時は最悪の事態を覚悟とも言われた。
その後一旦、熱も下がってほんのわずかだが食欲も出て、点滴がはずれたのがわたしが帰省していた土日のこと。月曜に医師の話をきいたが、そのときのレントゲンと以前のレントゲンを比べると明らかに右肺の下の方に影があり、左肺のように下部先端がとがってみえなかった。先日程深刻ではないが気管支炎だとのことだった。少し肺に水も溜まっているとのこと。血圧も高い。白血球の数は少しは減ったものの依然多いとのこと。
点滴、抗生物質の投与を行うということだった。熱は上がったり下がったり。
祖母は朦朧としているときとはっきり目を覚ましているときがあり、時間帯によって様子が違っていた。ただし、食欲はなし。というより本人が完全にミキサー食を拒否。
火曜の夜にわたしが神奈川に帰ったあとは、どんどん容態が悪化していったようだった。
日曜には酸素マスクを使用。叔母が一晩中つきそう。呼吸困難に陥り月曜午後に総合病院へ救急車で搬送。入院となった。祖母が転院した1時間後にわたしが神奈川から到着。
緊急外来で治療中の祖母と面会。呼吸がかなり苦しそうだった。
担当した医師からは気管支ぜんそく、または心不全という言葉が。
これまでぜんそくという診断をされたことはない。しかし、全く可能性がないというわけではないのでぜんそくの対処もしておくということだった。そのとき見せてもらったレントゲンは前回のものよりさらに肺の下部が真っ白になっていて素人目にも状態がよくないことが容易にわかった。白血球の数が多いのと、酸素は吸えているが二酸化炭素をあまりよく吐けていない状態だということで何かの感染症も考えられると言われた。
その日の夜になって回診してくれたときには「心不全の可能性が高いでしょう」ということだった。処置が良かったのか夜には祖母の呼吸も落ち着く。顔つきも穏やかになっていて一同ひと安心。
しかし、翌日夜に不整脈が出たそうで、注射をする。その翌朝には脈は正常になっていたが午後になってまた脈が高くなったのでさらに注射。血圧も高い。
昨日、わたしが帰る前に病室に寄ったときは脈も血圧も下がっていた。
その後、変化はないようだ。転院してからは熱はなし。

というわけで圧迫骨折で入院したはずが、肺炎→気管支炎と続きさらに、心不全、不整脈とこれまできいたことのない病名を診断され現在に至る。
たった1ヶ月の間にこんなにも変わってしまった。
ちなみに10月24日の祖母のADLは15。(ADLについてはまた後日)
Posted by roku
外科 / 21:52 / comments(0) /
祖母入院
昨日、祖母が外科医院に入院。
先日より腰の痛みを訴えていたのだが、歩けなくなり一昨日救急車で実家近くの総合病院へ搬送される。痛み止めの注射など打ってもらいその日は帰宅。
トイレまでハイハイしながら行く状況で、結局、外科医院に入院することになった。
加齢による疲労骨折のようなものらしい。
数年前にも同じようになった。

母は自宅にいても寝てばかりなので、リハビリをしてくれる病院に入院した方がいいという考えであったが、叔母たちは入院せず自宅療養した方がいいという意見。
意見が食い違い、母が勝手に入院させたということでちょっともめそうな気配。

祖母は耳が遠く、声が大きいので病院では個室に入室となった。
昨年の入院のときもそうだったが、病院の個室にひとりぼっちで大丈夫だろうかと思う。
母がちゃんと毎日、様子を見に通えるのだろうか?
入院した病院は実家からバスの便が良いところなので通うのはそう大変ではないと思うが・・・。

Posted by roku
外科 / 06:49 / comments(0) / 昨年の記事
ついに退院
昨日、母、叔母、従姉妹と担当医の話し合いがあり、ついに祖母が退院することになった。
今週は父が入浴や散髪などの予定があり、母が父の病院へ行かなくてはならないため、来週の月曜に退院ということにするか・・となった。が、祖母は一刻も早く家に帰りたかったらしく、「もう少ししたらねー」と言う母たちに烈火のごとく怒り出したという。
「もう、アンタらは来なくていい!」とまで言ったそうな。
幼稚園児のだだっ子と同じで一度、ごね始めると収拾がつかないらしく、結局、今週の金曜日に退院ということで落ち着いた。(水、木はどうしても都合がつかないため)
医師から部屋はバリアフリーですか?ときかれたらしいが、そんなはずあるわけもない。
まだろくに歩けないのに、どうやってトイレまで行くのだろうか?
母はベッドも父のように介護用をレンタルした方が良いと考えているが、勝手に祖母のベッドを処分などできるわけもなく、とにかく強情できかん坊、女王様のばあちゃん。(看護士さんに言われたとおりだ)
人の言うことはきかず、自分の思い通りにやらないと気が済まない。

転んだら転んだときやね。そんときは病院に逆戻りやね。

と電話口で言うしかなかった。「そうやね」と母。
これからストーブのシーズン。母は日中、父の病院へ行くので留守になる。デイサービスを利用するのが一番とはわかっているが祖母は聞き入れないだろう。
一体、どうするのか??

問題は山積みだけど、祖母の退院はうれしい。
土曜に帰省します。そしてそのとき、家にはちゃんと祖母がいる。それがうれしくて、ウキウキするのでした。

 
Posted by roku
外科 / 09:07 / comments(0) /
退屈する祖母
すでに退院に向けての担当医と家族の話し合いも済み、自宅で日常生活が送れるようリハビリが始まった祖母。
個室にいるのでとにかく退屈でたまらないらしい。

叔母たちも毎日見舞いにくるが、滞在時間は30分程度。みな、それぞれ忙しい。
父も入院中なので、祖母の退院は早過ぎると言っていた母だったが、ちょっと様子が変わってきた。
祖母がしきりに家に帰りたいというその理由をきいたからだ。

その理由とは・・・。
「アタシが入院をしているとF子(母)が一人暮らしでかわいそうだから」というもの。
祖母は祖母ではなく母で、母は母ではなく娘だったんだ、と思った瞬間でした。

今週末、再び帰省します。
 
Posted by roku
外科 / 06:50 / comments(0) /
朗報
先ほど母から電話あり。嬉しい知らせ。
祖母の術後の検査の結果、幸いなことにどこにも転移がなかったとのこと。

本当に嬉しくて、ホッとしてしばらくわんわん泣きました。
自分でも馬鹿みたいと思うほどのおばあちゃんっ子のわたしです。

 
Posted by roku
外科 / 21:26 / comments(2) /
もう退院?
その後、順調な様子の祖母。気に入らないながらも病院食も食べている。
祖母によると、金曜に「あと一週間で退院ですよ」と主治医から言われたという。
それをきいて、母は焦る。
まだ、歩けない車椅子状態の祖母が帰宅しても面倒をみきれないからだ。

一体、あと一週間で退院って本当なのだろうか?
わたしの予想では、祖母の勘違い。というか勝手に都合の良いように解釈したのでは。
だって、耳もろくに聞こえないはずなのに(点滴取るなとか全く耳に届いてないのに)なぜ「あと一週間で退院」だけが聞こえる??
もしくは先生が励ましで「もうじき退院ですよ〜」と言ってくださった?

手術前は確かに入院の予定は2〜3週間だとはきいていた。
だけど・・・。ほんとに2週間で退院??

ちょっと前まではもう、祖母は家へは帰れないのではないだろうかと心配していたのに、今度はこんなに早く帰って来てもらっては困る・・・と心配してしまっている。
食事のこと、トイレやお風呂の介護のこと。今後どうするかがまだ全く決まっていない。

祖母は病室で退屈しきっているようだが、もうしばらく病院で療養してもらってた方がいいのになぁ。せめて歩けるようになるまでは。
Posted by roku
外科 / 07:32 / comments(0) /
食事のこと
昨日から祖母は車椅子で院内をお散歩できるようになった。
少しずつ回復しているのがわかり、とても嬉しい。

しかし、目を離すと点滴をはずしてしまうので見張り番として午前中は従姉妹もしくは叔母A、午後は叔母B、夕方からは母が付き添うというローテーションにしている。
昨日の午前中、栄養指導を従姉妹が受けたそうで、それが思っていたよりもケアが大変なものだったらしく、叔母Bはひどく落ち込んだとのこと。うちの母にも電話で知らせたら母は父の世話で手一杯でできないと答えたそうで・・・。
それでも従姉妹は「せっかくいただいた命、ありがたくお手伝いさせていただきます」と頼もしく宣言。
従姉妹ってほんと偉い!

手術が無事終わったことでなんとなく皆安心しているけど、本当はそうじゃない。これからが闘病生活の本番なのだ。リンパ節や肺に移転しているかもしれないし、このあと便通がうまくいかなくなるかもしれない。93歳という高齢で自分ではケアできない祖母を今後誰がケアするのか?

父と祖母二人が入院している現在。でももしかしたらこの今が一番楽な状態なのかもしれない。二人が退院してきたら、その先どうする???

術後の食事ってどんなのだろう?と検索してみたらこういうのがヒットしました。特に食べてはいけないものがあるわけではないようです→
Posted by roku
外科 / 06:57 / comments(0) /
その後
その後、毎日、母や叔母とメールや電話で祖母の様子をきく。

日曜日、午後に回復室から個室に移動。尿管が取れたのでポータブルトイレを使用。紙オムツは拒否。点滴の管を取ってしまい、液が流れ出て大騒ぎに。
しかも一度ではなく何度も。
その度にナースコールを押すと何度も呼ばないでと叱られたそう。日曜で看護士さんの手が足りなかった様子。夕方から付き添っていた母は結局9時過ぎまで病室にいた。

月曜日。管類を勝手にはずしてしまうこともあって叔母、従姉妹、母でほとんど一日中付き添うことに。この日から水、お茶、ポカリは制限なしでOKとなる。体を起こしたり、車椅子への移乗の練習も始まる。刺激を与えた方がよいかなと思って叔母がテレビをつけたら、チャンネルを変えたりしていたという。

火曜日。叔母が付き添っているときも、夕方以降母が付き添っているときもほとんど眠っていたという祖母。やっぱり点滴をはずしてしまうということで安定剤や睡眠剤のようなものを盛られていたのだろうか。看護士さんがオムツ楽なのにね〜と言っても頑として拒否。しかし、無理矢理はめられている様子。この日から重湯が出たがこれも拒否。「ずっと食事があたらない」とこぼしている。

水曜日。朝、昼の重湯は拒否。夕食にお粥とかぼちゃの煮物などがやっと出て、それは食べる。母がスプーンで口に運ぶ。
抜糸があったそうだが、「いたた、いたた〜」という声が廊下まで聞こえていたそう。
オムツ替えの看護士さんが病室から出た直後、「私、あの人キライやわ」とまた大声で。
どうも祖母はこの病院の看護士さんが気に入らないらしい。
点滴パックは頭上にあると祖母がいじるのでベッドの頭部分の下の方に設置された。
大事なものだから触らないでと何度も言うがすぐに忘れるか、きいていない模様。
母に「櫛を持って来てくれ」とリクエスト。身なりを整えたいと思うようになったとは良い兆候。実家のお隣の奥さんがお見舞いに来てくださる。おせじかもしれないが「もっと痩せてやつれているかとおもったけど、病気じゃないみたいにお元気やね」と言われたそうな。

ともかく嫌なものは絶対に嫌!!という頑固さには参る。
そのくせ、痛がり。
人の言う事はきかない。
好き嫌いが激しい。

この祖母の特徴的な性格はわたしにも受け継がれてるなぁと思うのであった。

祖母の回復の様子をきいてようやくわたしのお腹も正常に戻りつつある。
病は気からですね。まったく。
 
Posted by roku
外科 / 12:24 / comments(0) /
手術翌日
手術の翌日、叔母と従姉妹とは病院で9時に待ち合わせになっていたがやはり気になったので8時頃に病院に行ってみた。
面会時間外ではあるがこっそり回復室へ忍び込む。
「おばあちゃん!」と声をかけると祖母は「あんた、よくここがわかったねぇ」と驚いた様子。「ここはひどいことするところや。おまわりさんに言わんなん!」と大きな声で話始める。
おまわりさんに言わんなん!を何度もくり返すのを「しー!しー!」となだめる。
そしてわたしに「あんたもこんなとこにおらんで早く帰りなさい。おまわりさんに言わんなん」と言うのである。
見ればなんと祖母、昨日は縛られたのは左手だけだったのにその朝は右手までもベッドに縛られていた。こんなことされればおまわりさんを呼びたくなるのも当然だ。
おそらく、どこかひどいところへ収容された、そんな気分だったのかもしれない。だからわたしにも危険だから早く帰れと言ったのだ。そこへ看護士さんがやってきて「ほどきますか?」と言うので「お願いします」と手をほどいてもらった。「ごめんねぇ」と優しく手をさする看護士さんに「ありがとう、ありがとう」と言う祖母。そしてまた「ここはひどいことするところや」と言う。「おばあちゃん、ここ病院よ」とわたしが言うとすごくびっくりした顔で「ここ、病院か!?」と言うのである。「3まる・・・何号室か?」というので「そう、今度303号室に行くんよ」というと「ほうか・・・」などと言っている。
病院じゃないところに連れていかれたと思っていたようで、夜中は誰も知った人のいない見たことのない部屋で無理矢理縛られたりして本当に怖い、心細い思いをしていたのだと思うと一晩中ついていてあげれば良かったと後悔した。

やっと安心したのかそのあと眠りに入る祖母。
今度はモニターの脳波は安定している。
9時頃に待ち合いロビーに行くと叔母ABと従姉妹も到着していた。大勢で回復室には入れないのでわたしはロビーで待つことにし、3人は祖母の顔を見に。
この日の午後に神奈川へ帰る予定のわたしは午前11時過ぎまでは病院にいられるのでこのあとはわたしが付き添うことにして叔母たちは明日の相談をして帰宅。

その後も祖母はほとんど眠っていた。主治医の先生が傷の様子をチェックしにくる。おしっこの量が少なかったので利尿剤を使用したらてきめんに出たこと。呼吸は100点満点で酸素マスクはすぐにとれたこと。経過は良好とのことをきく。おならが出たら腸の調子が良いということだがまだ出ないだろうとのこと。
ガーゼの交換もあり。冷えピタシートの透明版のようなものをペタリと貼り替える。冷たいのか痛いのか苦しそうな表情をする祖母。そのときに見えたお腹の傷は15センチはあろうかという大きな傷でワイヤーのようなもので縫われていた。
あとレントゲン撮影や体を拭いたりの作業。
その後も寝息をたてながら眠る祖母。安定剤のようなものが使われているのだろうな。
ベッド脇のテーブルには看護士さんが書いたと思われる筆談の跡が。
「だいじなものとったら困るのでしばらせてもらいますね」とか「困ったときはナースコール押してくださいね」と数枚に渡って大きな文字で書かれていた。
ただし、惜しいのは横書きなこと。
祖母は縦書きにしないと読みづらいのだ。
それに「ナースコール」はわからないだろうなぁ。「呼び鈴」と書いた方が良かったのかもしれない。
帰る時間がきたが祖母は眠ったままだったので縦書きで祖母に手紙を残し病室をあとにした。
さあ、次は父の病院へ。
 
Posted by roku
外科 / 08:07 / comments(2) /
術後
「もう、やめて〜」を繰り返す祖母に「もう終わったよ〜大丈夫だよ〜」と声をかけるも届かない様子。回復室(ICUのような病室)では看護士さんがせわしなく処置を続けている。
叔母が「夜はついていなくていいんですか?」と尋ねると「いいですよ」とのこと。みんなでベッド脇にいるとかえって邪魔になるので回復室から出る。
翌日の付き添いなど相談して帰宅することになった。
だけど先ほどの祖母の痛がりようがとても心配だったので、わたしが後でもう一度様子を見に来る事にした。一旦解散したのが午後6時頃。
母と二人、コンビニ弁当を買い実家で夕食。考えたら朝からまともな食事をほとんどしていない。母も二人が入院してからは総菜や弁当を買ってきて食べているらしい。
7時前にもう一度病院に行ってみるとなんと祖母は左手をベッドに縛られていた。
「おうちの方に連絡して縛らせてもらいました」とムッとした顔の看護士さん。「暴れたんですか?」ときくと「大事なもの、はずしちゃうんで」とのこと。その他に「女王様やな」とか「きかんぼうのばあちゃんや」などと言われた。ちょっと怖いよ、この看護士さん。
「耳が遠いので書かないとわからないんです」と言ってみたが「書いたもん読むような状態じゃないんやわ」とぴしゃり。「点滴も血管細いから抜くと困るんやわ。この背中のは大事やし」と点滴をもう一度刺し、とれないよう包帯でグルグル巻きにする。
そういえば父も手術のあと頭の血をためる袋のようなもの、「これ取ったら一巻の終わりやから」と看護士さんに注意され、母と二人気を配った思い出がある。
我慢してね。おばあちゃん。

おそらく安定剤など使っているのだろう。先ほどのように「お腹いたい〜」とは言わなくてときどき「あ〜」と大きなため息のような叫びをするくらい。ときどき目を開けてわたしの顔を見る。額を撫でたり、肩をそっと叩いたり、赤ちゃんを寝かしつけるように祖母に触れる。
モニターに映し出された脳波をみるとうとうとしているときは安定した波、でもそれはときどき乱れる。血圧や脈などは安定しているよう。
その間、叔母や母からガンガン電話やメールが入る。しかし出られないのでときどき病室を出てはチェック。叔母の家に電話してみるとまだ帰宅していないと言う。留守録には夫から「家の鍵をなくした」というとんでもないメッセージが。折り返し電話するがつながらない。結局、鍵はポケットに入っていたそうで大丈夫だったが、もう頼むよ〜という気分。

面会時間の8時半までは祖母のベッドの横で過ごした。ぐっすりと眠れてはいないようだったが落ち着いてきたなという様子だった。8時過ぎに放送が鳴り、面会終了を促される。父の入院している病院は畳敷きの場所があって布団を敷いて泊まり込みもできるようになっていたがこちらの病院はそういう場所も一切なく、帰らなきゃいけないムード。
でも今思えば、もうちょっと付き添ってあげれば良かったととても後悔している。
 
Posted by roku
外科 / 08:08 / comments(0) / 昨年の記事