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ほくほく線にのって…

離れて暮らす父が2005年9月に事故で脳挫傷、頭蓋骨陥没骨折で入院。
5ヶ月経ってようやく退院しました。
ほくほく線で父の見舞いに行った日々のこと忘れないように書き留めました。(2014年12月父他界)
両親と祖母の老老介護、遠距離介護についての想いを綴ります。(2011年12月祖母他界)
2016年2月、母を呼び寄せ、遠距離介護は近距離介護に。
一年後の診察

昨日は骨折から一年後の経過観察の診察で整形外科へ。

わたしが先に病院へ行って受付をし、ホームの車で母をあとから連れてきてもらうよう手配した。

10時半の予約だったので9時50分には受付を済ませる。母は10時15分には到着。

しかし、診察で名前を呼ばれたのは11時半をゆうにまわってた。

予約があってもこうです。辛い・・・。

11時50分にお迎えに来てくださいと電話をし、ホームに帰還したのが12時半。母が出発したのが9時50分とのことなので3時間弱か。

診察は3分以下だった。

前回の診察は半年前で半年前に昨日の予約をしていた。

担当医はすでに病院を去っていた。

初めて会う医師がレントゲンを見ながらPCをカチャカチャ叩きながら「沈み込みもないし、大丈夫ですね」とこちらを見ずに述べたのみ。「歩行は以前より困難でしょうが」と付け加えたので「全く歩けません!」と答える。「そうでしょうね」とチラッとこちらを見ただけで母に一度も触れることもなかった。

前の担当医は「歩いていますかー?」とか言ってたけどあれは社交辞令だったのか?今回の医師は歩けないことは当然だとばかりだった。

ともかく、異常なしでリハビリも遠慮なくしていいそうなのでまずは安心した。

 

待合室での母は・・。

冬の間は編み物をして待っていたりもしたけど。今回は手芸の本を母に見せて暇をつぶす。ほんの少しだけ興味を示してくれた。

待合室にいた外国人の患者さんが気になるようでじっとそちらを見たりしている。「あの人たち・・・」と何かよくわからないことをつぶやく母。「知ってる人?」ときくと「知らんけどぉ」と言う。

なんでもいい。会話ができるだけでいいと思ってしまう。

ぼんやり、反応の薄い母ではあったが、それでもいつもよりは会話してくれたので嬉しい。

通院は母と長く一緒に過ごせる時間。そう考えれば悪くない。

レントゲン室に入るときは母ひとりなので心配になる。もう生年月日はわたしが伝えることに。本人が言うのは無理。

母と同じような年齢の車椅子の女性も近くでレントゲンの順番を待っていたが独り言が多い。レントゲン室内で大きな声をあげているのが廊下まで聞こえた。付き添いは息子さん。終始無言。

母はおとなしいから助かってる。

やはり前頭側頭型ではないと思う。

 

GHでは送り迎えはドライバーだけだったが、ホームではドライバーとは別に付き添いスタッフが来てくれた。帰りはわたしも車に乗せてもらってホームまで。付き添いの若いスタッフさんは初めてみるお顔だったが全てのフロアーを担当しているらしく母とも顔見知り。レクでボール投げとかをしっかりやっていると母を褒めてくださった。声かけも優しい。

ドライバーさんも親切だった。

住めば都。

今のホームで母はだんだん馴染んでいく。わたしも。

来月は家族も参加の納涼祭があるそうだ。もちろん参加するつもり。

まわりが重度の認知症の入居者さんなのがちょっとどうなのかな?と思っていたのだが考え方を変えれば、母がもっと重度になっても大丈夫ということだ。サ高住やGHのときのように介護度が上がったからといって追い出されることはないだろう。

前払いプランで契約したのでずっと月額料金も同じだ。なのでお金のことも安心できている。(ここ大事)

もっといい施設があったのでは?と考えてしまうこともやっぱりあってモヤモヤもしていたけれど、今いる場所で精一杯やろうと思った。

 

 

 

 

Posted by roku
整形外科 / 07:34 / comments(2) / 昨年の記事
通院日

一昨日は月に一度の整形外科と皮膚科の診察。

整形外科は予約制で10時半の予約で10時15分には受付をしたのだが順番がまわってきたのは12時近く。

皮膚科は予約制ではなくて同じ時間に受付し受付番号によると12人待ちくらいだった。整形外科と皮膚科の中間くらいに位置するベンチで待つけどどちらが先に呼ばれるかわからなくて両方の受付に「いないときはあちらの診察室にいる」と伝える。

整形外科であと何人くらいで呼ばれるか?ときいてみるとレントゲン室への案内を忘れていたようで「レントゲンが終わってからになります」とのこと。この時点で11時はゆうに過ぎていた。もう一度皮膚科の受付に行きレントゲン室に向かうことを告げる。

レントゲンの撮影前に本人確認があるので母と名前、生年月日の練習。

レントゲン室には母だけが入るがおそらく言えなかったであろう。

「私につかまってください」とかドアの向こうのレントゲン技師さんの声が聞こえていたが随分難儀しているように思えた。

レントゲン後、再び待合フロアーに戻って待っていると皮膚科が先に呼ばれたので診察室へ。

褥瘡はよくなってきていて左右の足のかさぶたをはさみで切ってもらう。

褥瘡のことはよくわからないが、入院中に原因ができたのが退院してすぐに発症したのかな。車椅子で座っているだけでできるものなのか?と疑問だったけどおそらくベッドで寝ている時間が入院中は長かったからなのだろう。とりあえず一安心。

あと繰り返す頭の湿疹について現在の薬の名前を伝え、効き目が弱いことを訴えるとではもう少し強い薬を出しましょうとのこと。

患部はろくすっぽ診ていなかったな。わたしが通院する皮膚科では拡大鏡で見てくれるのに。

なんだか大雑把な医師で信頼が持てない。

信頼が持てないのは整形外科の医師も同様で毎回母の膝や太ももを触り「お、結構筋肉ありますねぇ」と言ってくださるが単に下半身が太めなだけで歩ける筋肉があるとは思えない。「歩いていますか?」の質問に「全くだめです」と答えても特にアドバイスはなし。

次回は3ヶ月後。

皮膚科は1ヶ月後。

GHに戻り、遅い昼食。母にお腹すいた?ときくと「そうだねぇ」と答えた。最近はどんな質問にも「そうだねぇ」と答える。

だけどもう一度きくと「少しね」と言っていたからお腹は空いていたようだった。

わたしは午後の仕事があったのでこの日は昼食の介助はお願いして帰宅。

先週はクリアだったけど今週はまたもとに戻っていた母。だいたい表情でわかる。眉間にしわ。ああいう不機嫌そうな顔は入院前はしなかった。入院していたのは7月末から8月初め。もう3ヶ月か。3ヶ月歩いていない人が今後歩けるとは思えない。

整形外科の先生の言う感じだと骨的には全く問題ないようなのだが。

認知症でなければリハビリ棟に移ってみっちりリハビリして今頃はピンシャン歩いていたのだろうか。

母は歩けるようになりたくないのだろうか?このまま車椅子生活で満足?

動きたくないのか?

 

旅行は行きたくないそうです。(先週きいたらそう言っていた)

 

 

Posted by roku
整形外科 / 06:54 / comments(2) /
退院して一週間

母が退院してちょうど一週間。

昨日訪問してみると左足の外側に褥瘡ができたそうで靴を脱いで車椅子の上にクッションを置いてそこに足をのせていた。

土曜に看護師さんがみてくれるそう。

こんなに短い間に褥瘡ができてしまうものなんだ・・・。

立ったり、歩いたりということがますます遠のきそう。

しかし、母の表情はもとのように戻っていて、わたしのこともすぐにわかってくれた。

小声もなくなり普通のボリュームで話す。

ただし、自分のお部屋の場所はわかっていないなど以前とは変わってしまった点も。

 

従姉妹が母の姉の手紙を送ってくれたのでそれを渡すと声を出して何度も読んでいた。良かった!読むのは大丈夫だ。

けれども字を書く方はダメなようで返事を書くように促しても全く書こうとしなかった。漢字が難しいのかな。

今の母はおそらく自分の名前を書けない。

 

昨日はイベントでコンサートがあり、わたしも一緒にきかせていただいた。

同じ建物内のデイサービスの方々、GHの別ユニットの方々とも合同だったので母には「久しぶり!」とあちこちから声がかかる。

母はきょとんとはしていたが(相手を覚えていない)それでもまんざらではなさそう。

病院と違って自分の居場所なのだと感じてもらえればそれだけで十分だ。

コンサートでは青い山脈や高校三年生をみんなと歌う。

母より重度に見えた車椅子の入居者さんはいつもは会話もできないレベルだったはずだが笑顔で歌っていたのには驚いた。

音楽の力ってすごいんだな。この方は他の入居者さんともあまり交流なく、折り紙などの作業にも参加されていないようだったけれどコンサートのときは渡された歌詞のコピーを綴ったものもちゃんと曲に合わせてページをめくっていて、その点では母よりもしっかりしていた。何もできないわけではなかったのだ。

母を妹のように可愛がっているOさんは母の隣に座り、母と手をつなぐ。「私は辰年だけどあんたなに年?」ときかれた母は「うさぎ!」と答える。昭和何年生まれときかれると答えられないが干支は言えるんだなぁ。

「え、そしたら私のひとつ上?!何月生まれ?」とOさん。母は「2月」と答える。会話は成立しているがOさんの方がひとまわりほども上なのだ。Oさんも危うくなってきた・・・

 

それにしても世間はお盆休みというのにこちらはGHは年中無休。

わたしら家族なんてちょこっと様子をみにくる程度でお世話はすっかりおまかせ。本当に頭が下がります。

母を自宅で介護することになったらと考えると・・・。

いつもGHから帰るときにスタッフの方は「ありがとうございました」と言ってくださるのだがそれは完全にこちらのセリフです。

 

 

Posted by roku
整形外科 / 07:14 / comments(0) / 昨年の記事
退院

先週の木曜に母、退院。

ちょうど台風が来ていて心配していたが雨もあがり被害もなく。

ケアマネさんがスタッフとともにGHの車椅子ごと乗れる車で迎えに来てくださった。

母は車椅子の移乗も危うく、歩くどころか立つこともままならない状態ではあったがGHの他の入居者さんたちも温かく迎えてくださった。

母は自分の部屋も忘れていたようだったがお部屋に入ると少し反応した。

 

入院の後半の何日かで恐ろしいくらいに母の様子が変わってしまった。

ほとんど反応せず、動かず。リハビリのときもあまり動かなくなった。

すぐに目をつぶってしまう。

 

このような状態でGHでの生活ができるのか?と疑問だったけれど、退去を言い渡されることもなく数日を過ごしている。

昨日、様子を見に行ったがやはり介助は大変になっているようだった。

トイレやお風呂(シャワー)も大変だが食事が全介助になってしまった。

病院にいるときはプリンなど最後の一口まで食べていたのに。自分からは食べなくなってしまったと。

今後は週二回、訪問リハビリを受けることにした。

どこまで回復するか。

 

本当はとても期待している。

またすぐに元通りになるのではないかと。

甘いですね。でも絶望したくないのです。

 

Posted by roku
整形外科 / 21:08 / comments(4) /
退院日決まる

何度か母に面会に行っているがあまり良いきざしはなく。

それでも退院の日が決まった。今度の木曜。

病院にいる間はリハビリがあるからとあまり早く退院したい気持ちがなかったのだが、ここのところの母を見ていると1日でも早く退院した方が良いのではとも思う。

いくらわたしたちが面会に行ってもそれは長い1日のほんのわずかな時間でしかないし、看護師さんが時々様子を見てはくれるけどほとんどの時間は放置されているのと同じ。

それはGHに帰っても似たようなものなのかもしれないけれど。

 

先日、リハビリの様子を見学した。

母の担当の療法士さんは二人いるようで最初に対応してくれた方はメガネの男性。ベッドから車椅子への移乗をしようとするのだが母は反応鈍い。言われたように動いてはくれない。

しばらくしてもうひとりの療法士さんが「疲れていなければもう一度リハビリしますか?」とやってきた。

ちょっぴり竹内涼真似の方。

さきほどとは母の反応が全然違い母は笑顔。

最近見たことないほどのニコニコ顔だった。

リハビリの様子はまたあらためて。

Posted by roku
整形外科 / 08:26 / comments(0) /
車椅子のシートベルト

土曜の面会。病室で車椅子で座っていた母。

車椅子から落ちないためか白い帯のような布でお腹と車椅子をぐるっと結ばれていた。まるでシートベルトのように。

そのまま車椅子で病室の外の談話コーナーへ。

差し入れにプリン。

ここの病院では病室に冷蔵庫もなく、衛生面から食べ物の持ち込みは禁止と書いてある。しかし、看護師さんに先日、好きなものを食べさせてあげてくださいと言われた。あの注意書きは建前なのだろうか。

次回は果物がいいかな。

木金はしっかりしていたのに土曜はどこかぼんやり。

リハビリがないようなので車椅子に座ったままわたしとつま先の上げ下げ、踵の上げ下げ、足踏みなどする。

手術した左足はあまり動かない。動かすときは手で持ち上げる。前途多難。

歩けるようになるどころか車椅子への移乗もままならない。

医師からは先日「手術前より歩行状態は悪くなるのはご了承ください」とサラッと言われたがそれが現実のものに。

そのくせ母は車椅子から自分で降りようとする。

だからシートベルトなんだ。

ずりおちるのではなく、足が動かないことの自覚がないから立ち上がろうとし、また転んでしまうから。

転んだらまた骨折だ。

母の骨はきっとスカスカだろう。

 

今日妹が面会に行ったら母は妹のことがわからなかったという。

骨折がきっかけで認知症が進むという話はきいていたがこれほどとは。

 

父が入院していたとき母は毎日面会に行き、一日中病院にいた。お弁当持参で。

ある意味、父は幸せだったな。

わたしたちは毎日は行けない。

いや行こうと思えば行けるのかもしれないけどそれができない。

母にはもうわたしか妹しかいないのに。

 

Posted by roku
整形外科 / 21:52 / comments(0) /
ミトン

母の手術は無事終了。

手術の時間が当日の朝に変更になり1時間早まる。わたしはちょうど向かっている途中で間に合わず・・と思いきやギリギリ手術室へ移動するのに間に合った。1時間じゃなく30分早い開始。(こんな風に手術の時間ってコロコロ変わるものなの?)

手術時間は2~3時間みてくださいということだったので妹と交代で食事をとっていたら、1時間半ほどで終了。

担当医は「手術時間は59分」と言っていたが早く終わらせることが良いのではなく、予定通りというのがいいのはでないだろうか。

手術室へ入ってからの母は案の定興奮状態にあったようで色々触るのでさらに麻酔をかけたそう。

そういう状態だったせいもあり、担当医からは認知症が重いので当医院のリハビリ病棟では受け入れできず2週間でGHに戻しますと宣言される。以前より歩行状態が悪くなるのはご了承くださいと早口で言われた。

リハビリなしで退院させられるとどうなるのだろうか?

実はこれを機に歩行改善できるかと期待していた。杖歩行の訓練もしてもらえるといいなぁと思っていたのである。

2週間で返されるとおそらく母は今後は車椅子の生活になる。

妹とこの点について相談した。

調べてみると医療保険を利用できる訪問リハビリもあるらしいのでそれを利用できないか検討中。

とにかく散歩は無理にしても室内は自分の足で移動してもらわないと。

 

術後の母は眉間にしわの表情。

点滴の管や酸素マスクをはずしてしまうので看護師さんに勧められ売店で「ミトン」なるものを購入。

手を拘束するのにベッドの手すりに縛るよりかはこのミトンで指を覆ってしまう方がまだ自由がきく。

しかし、母にとっては経験したことのないしろもの。こんなものはずしてと訴え続ける。

「何をしとるんや!」とだんだんキレかかってくる。

いくら手術をしたからなのだ、今だけ、ちょっとの辛抱だからと伝えても手術などしていないというし、どんどん興奮するばかり。

「じゃあ、看護師さん呼んでくるね」と病室を去るより仕方がなかった。

せっかく付き添いできているのにそばにいることもできない。離れたところでこっそり見守るのみ。

母はベッドの上で縄抜けの術のようにミトンをなんとか脱ごうと手をモゾモゾ動かし続けていた。何もしないでボーッと寝ているよりは何かに集中している方がいいと思うしかない。

担当の看護師さんはベテランのようでてきぱきとされていて安心してお任せできそうだった。

手術の日は面会時間に制限がないようだったが1時間おきぐらいに様子を見てもらえるようだったので帰宅することにした。

顔をみせるとまたミトンをとってくれと怒り出しそうだったので母に声をかけずに病室をあとにする。

点滴の管や心電図のコードがいらなくなれば手は解放されるので早く身軽になれますように。

先のことは見えないが命の危険があるわけではないので思い詰めずにいきましょう。

Posted by roku
整形外科 / 08:32 / comments(2) /
大腿骨骨折

先週土曜に母が室内で転倒し大腿骨骨折。

救急車で運ばれ入院した。

明日手術をすることになった。

 

土日わたしは呑気に旅行中。妹からの電話で事態を知る。

入院の準備や手続きは妹がやってくれた。

話によると初日は母も少し興奮状態で手の拘束をされたらしい。それもショックだった。

様々な不安が押し寄せる。

 

転んだことを覚えてはいない母が病院にいることを理解できるだろうか?

環境が変わって大丈夫だろうか。

そのまま寝たきりになるのではないかという不安。

手術することも理解できるだろうか。取り乱したりしないだろうか?

祖母も80歳くらいのときに転倒し大腿骨骨折した。母の姉も数年前に自宅で転倒し同じく大腿骨骨折、手術を経験している。

二人とも見事に復活した。だから母も大丈夫なはず。

そう自分に言い聞かせるのだけど不安は募るばかりのこの週末だった。

そして今日面会へ。

縛られていたら嫌だなと思っていたが手は自由になっていた。

わたしのこともわかってくれた。

かつて入院していた祖母や父がそうだったようにいくら注意しても点滴の管をはずそうとしていたが。

とりあえずは少しだけ安心した。

 

手術すれば早い人なら翌日からリハビリが始まるという。

これを機にリハビリして骨折前より歩行が安定するといいのだけど。

どんどんあるけなくなっていく母が気がかりだった。GHに入居してからの母の後退ぶりは加速している。

杖歩行ができるようになるといいな。

悪い方へ考えるのではなく少しでも光のある方に向いていければ。

妹から手術のリスクについてきく。

やっぱり怖い。

看護師さんが説明してくれるがそれがどれだけ母に伝わるのか。

全身麻酔ではなく頭はぼんやり起きていて、でも身体は動かないという麻酔なのだそうだ。

どうか母が怖がりませんように。

手術が無事済みますように。

Posted by roku
整形外科 / 22:20 / comments(2) /
割とちゃんと歩いている

今週木曜に訪問すると母はこれまでのように歩いていた。

「膝は?」ときくと「もうあんまり痛くない」と答える。

立ち上がりが少し難儀そうだけど日常生活にはさほど支障がなさそうだ。

 

居室で少しだけトレーニング。椅子の背につかまってかかと上げ下ろしとか足を前後に振ったりとか。

以前デイサービスでもらったプリントを参考に。

何もやらないよりかはやった方が良いだろう。

母も嫌がらずやってくれた。

 

相変わらず会話のほとんどはわたしがどのくらいの時間をかけてくるのか?と「お父さんはどこにおるの?」

たまに「おばあちゃんはどうしてる?」

他に話題はないのか!と思うけどないみたい。

母のコミュケーションの手段なのかもしれない。

木、金と午後6時すぎに母から電話がかかってきた。取ると切れているのでこちらからかけ直すと出る。

あまりよく聴こえないのか適当にあいづちを打っているようだ。

それでも会話できるのが嬉しい。

だんだん言動もおかしくなっているのが明らかで歩行なども以前より危うい。薬が増えたけど何も効果がないように思う。

右の耳がほとんど聞こえないようで右側から話しかけても全く反応なし。母の左に座って話さないと会話ができない。

ときどき電話が聞こえないという時はおそらく右耳に当てているのだろう。

これほど顕著なのにGH入居の際の健康診断書には難聴なしと書かれていた。

医者など全く信用できないな。

母の右耳のことはケアマネさんも把握しているようだった。介護者が気付いているならそれほど問題じゃないかな。聞こえる方に話しかければいいだけだから。

祖母も同じように片耳しか聞こえなかったが本人が自覚していて聞こえる方の耳を差し出していた。

母はその自覚はまだないようなのが残念。

どこまでわかっていてどこまでわかっていないかがもっとわかればいいのに。

Posted by roku
整形外科 / 22:19 / comments(0) / 昨年の記事
折れてなかった

先週木曜に母と再び整形外科。

午前中に行ったら16番目と言われ2時間以上の待ち時間にグッタリ。

その間、母はトイレ2回。車椅子でも入れる広いトイレだったのでわたしも入室。そのときの話はまた後日。

 

診察の結果、骨折ではなかったようで今後の通院はなし。サポーターももうしなくていいとのこと。

GHに戻ったらもう車椅子もどかされて自由の身の母。

よかったのだけど歩き方がとても不安定になっている。

今年の夏前はわたしと外を一緒に散歩していたのに。

 

最近飲み始めたメマリーにふらつきやめまいの副作用があるというが関係はないのだろうか?

今回は骨折ではなかったけれど今のままの歩行の不安定さではまたきっと転んでしまう。いつかは骨折してしまいそう。

まだ起きていないことを不安がってばかりいても仕方がないけど心配です。

杖もうまく使えない母。

杖歩行の練習してみようかな。

 

電話をすると慌ててとるときに転倒してしまうのではと心配でここのところ電話していない。

クリスマスイブの夜に突然母からかかってきたのは寂しかったのだろうか。

電話できないとなんだか遠くなる母です。もっと頻繁に会いに行くべきなのだろうか。

Posted by roku
整形外科 / 20:18 / comments(2) /